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2018年1月19日金曜日

新しい仕事につきました

SE(システムエンジニア)になりました


みなさん、こんにちは。

一昨年の8月に前の仕事を退職したのですが、今は新しい仕事についています。
昨年の11月から新しい会社で、SE(システムエンジニア)の仕事をしています。

私の行っているシステムエンジニアという仕事は、Webやスマホのアプリを作る仕事です。

今作っているのはWebアプリです。
Webアプリというのは、例えばアマゾンのサイトのように、ホームページだけではなくて、データベースが裏で働いているような、Web上の情報をやり取りする仕組みやページ全体のことを指します。

今の開発に使っている言語はRuby(ルビー)という言語です。

Rubyは日本人のまつもとゆきひろさんが開発した言語なんですよね。

フレームワークというWebアプリを開発する仕組みもあるのですが、フレームワークはRuby on Railsというものを使っています。


国立職業リハビリテーションセンターにてスキルアップ



こういったSEになるための勉強は、国立職業リハビリテーションセンターというところで学びました。

国立職業リハビリテーションセンターでは、障害を持った方がスキルアップのために日々学習しています。埼玉県の所沢市にあります。

そこでは雇用保険や学習する人への給付金を受けられます。

とてもありがたい場所だと思います。


前職を退職した後はその国立職業リハビリテーションセンターで学習をしていました。

そこで学んだ知識を活かして再び就職してSEとしてキャリアアップした次第です。


2018年1月8日月曜日

Japanese Modern Folks Music - 切ない・美しい和風BGM集(修正版) -[BFMJ]を聴きながら

YouTubeで見つけたBGM





たまには、こんな曲を聴きながらのほほんと過ごすのもいいですね。

最近は満ち足りた気分で過ごす日々が多いです。

私の神様への感謝は終わりはありませんが、
以前のように本を読み漁るようなことはなくなりました。

自分の中でこれというものを見つけたからだと思います。

それは、「神様お助けいただきましてありがとうございます」

という魔法の言葉です。

これだけで良かったんですね。


2017年2月9日木曜日

「『いじめ』が日本の学校からなくならない理由」に関する記事と私の考察 2017/04/20追記

とても興味深い記事を見つけました。

日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由

上の記事は非常に秀逸な記事だと思います。

私も「いじめ」は責任の観点からすれば、犯罪だと思います。

本来であれば警察が取り締まるべき問題だと思います。
そうして、教師は責任をとって懲戒処分を受けるべきです。

それが「いじめ」という言葉で教育の問題に矮小化されているのは、学校という「膜」の中に子供たちが閉じ込められているからだと記事の著者は指摘します。

魂の観点からこの記事を読むと、新しく生まれる子供たちというのは一個の魂を持った存在です。

私たちが子供を産もうとして子供がこの世に誕生してくるように見えますが、魂の世界から見れば逆で、生まれたい魂が先にあって、子供が誕生するのです。

このように「いじめ」という犯罪がまかり通ている学校の環境では子供はもう日本にはあまり生まれたくないと思っているのかもしれません。

だから、少子化が嫌だというのであれば、学校の環境を改善することも、魂の観点からすれば、重要な少子化対策になると私は考えます。

子供を持とうとする親だって、今のような学校環境の中に子供を送り込むのは不安ではないでしょうか。

子を思う親の気持ちは私には想像することしかできませんが、そのような不安を感じる方もいらっしゃるとは思います。

私自身も結婚したとしても、今の学校環境の中に自分の子供を預けたいとはあまり思いません。

できれば自分で教育したいぐらいです。

そもそもの学校の成立を考えれば、学校とは軍隊の優秀な兵士を育成する場所だったのです。

体育会系の部活などがいい例です。

上官が「突撃!」と叫べば、部下が「おー!」と言って自らの生死も考えず突撃する、そういう「兵士」を要請するのが学校の目的だったのです。

戦後は「兵士」が「企業戦士」に変わっただけです。

上司が「右だ」といえば、「はい!」と返事してYESマンになることを訓練しているのが学校という場所なのです。(特に体育会系の部活に顕著)

ここで一応断っておくと、私自身は「はい!」と返事をすることは大事だと思っています。
これは「指導される力」という力がこの世の中には存在していると思っているからです。
「指導される力」がなくては指導する側がいくら優秀でも指導される側は成長しないのです。これは部下を持っている方や教える相手がいる方は理解できるのではないでしょうか。聖書にも優秀なものを1度叱ることは、愚鈍なものを100回叱るよりも効果があるというようなことが書かれています。
ただし、間違っていると感じたことには、間違っているとはっきり主張することも大切だと考えます。これには、勇気が必要です。なぜならば、上司は部下の生殺与奪の権利を持っているからです。
けれども、勇気を出せば言えないことではありません。そして、その勇気が本物であれば、心ある上司であれば、その意見をしてくれた人に最大級の感謝をささげるでしょう。
なぜならば、上司とはその力ゆえに時に話し相手に気を使われすぎることにうんざりすることがあるからです。
だからと言って、何でもかんでも気軽に行っていいかというと、それは違います。
なぜならば、上司は生殺与奪の権利を持っているからです。
最大限の配慮をしつつ最高の勇気を持って相対することが自らの魂を向上させるとても良い方法だと思います。
この件に関する参考文献には「貞観静養」(新釈漢文大系 (95)、原田 種成 (著))があります。
(アマゾンリンク :https://goo.gl/WA2np0)

私が問題だと思うのは、理不尽なことにまでも「はい!」を要求するということです。
また、そうした場合、対応方法は少なくとも三つあると思います。
一つは黙ってそこから去る、もう一つは、返事をする前に、どうしても腑に落ちない部分を中心に、なぜかと言うことを聞くことです。
本当に、意味のある命令を発している上司であれば、その意味をあいての理解力に応じて、話すことができるでしょう。
そこでももちろん勇気は必要です。
「勇気」を出せばなんでもできる!
私はみなさんの味方です。

あるいは自分の意見をどうどうと発信して論戦を行うことも時には必要だと思います。
ただし、それには相当の言い方や論破の仕方を論理だけでなく感情面でも行わないといけないと思います。

一般の社会であれば、どうしても合わない上司のもとからは、部署を移動したり、場合によっては転職することで離れることができます。離れることも「合わないところから去ることができる力」という立派な力だと思います。

だから、学校を自分の意志で転校したり行かないと判断できる人というのは立派な力「合わないところから去ることができる力」を持っていると思います。

この力がなぜ必要になるのかというと、上の記事にも少し書かれていましたが、宗教で考えれば分かりやすいのです。たとえば、人々に悪いことを行わせる宗教があった時に、オウム真理教の事件を見ても一度洗脳されると容易には人がそこから抜け出すことは困難であるということが分かります。
つまり、宗教組織という「膜」の中では何が正常で何が異常かという考え方が外部の世界と異なっていくことが多いということです。
学校という「膜」の中でも同じことです。

そのようなことを考えると、「学校教育の場から離れることができる人たち」≒「自分の頭で考えることができ、自らをおかしな洗脳から解除できる人たち」と言っても過言ではないと私は考えます。

そういう人たちが自由に学べる場というものがもっとあってもいいかもしれないと思いました。

今後の私の活動の一つの方向性になるかもしれません。

一つの記事と私の過去の経験から今日はいろいろなことを書きました。

この記事が誰か一人にとってでも何らかの参考になれば幸いです。

また、私がここに書いていることはすべて一人の人間の提案であり、命令などではまったくありません。

こういう考え方もありますよ、という私からの個人的な紹介です。
考え方というのはほかにも無限にあり得ると思います。
自分で考えて、好きな方法を選択してみるというのも面白いのではないでしょうか。

これもあくまでも提案です。

みなさんの自由にしてください。

私はみなさんが大好きです。

ただし、この世界には法則が働いていると私は感じていますので、自由を得るためには法則を学ぶことがとても大切になると私は思っています。

宗教とは法則を抽象化したものです。

抽象化されているのでその背後にある法則を自分で見出さなければならないし、そうしないとその法則を使うことはできません。

みなさんが学ばなくても私はみなさんの代わりに学びます。

ただし、真の自由を目指すのであれば、学ぶことも悪くはないかもしれないのではないかと思います。たとえば、少なくとも、相手との縁が良い縁なのであれば、お互いに感謝をしながら話している間は、別れることはなく、また、私は神様が大好きなので、神様が本当に大好きな間は、誰も別れることはないと私は思っています。神様が好きでない人でも神様という言葉を知っている限り別れることはないと思います。

神様について学ぶ際に、参考になる書籍を紹介いたします。

だれか一人がどれか一つでも読んでくれたら幸いです。

私の理解もまだまだ途上なので、難易度は私の独断と偏見でつけております。

みなさんの受け取り方と異なる可能性がありますので、ご注意ください。

『古事記』(池澤夏樹 訳、河出書房新社)(文章量 少、難易度 最高難度)、
『新釈古事記伝』(阿部國治 著、栗山 要 編、致知出版社)(文章量 多、難易度 易)、
『歎異抄』(角川ソフィア文庫、浄土真宗)(文章量 少、難易度 難)、
『法華経』(日蓮宗、天台宗)(文章量 多、難易度 難)、
『般若心経』(真言宗)(文章量 少、難易度 難)、
『聖書』(新共同訳、日本聖書協会)(文章量 多、難易度 難)、
『シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター』(日本ヴェーダーンタ協会)(文章量 中、難易度 難)、
『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著)(文章量 少、難易度 難)、
『宗教の科学』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 中、難易度 中)、
『人間の永遠の探求』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 多、難易度 易)、
『神秘形而上学入門』(平一 著、ブイツーソリューションーション 発行)(文章量 中、難易度 難)
『バーガヴァタ プラーナ』(文章量 多、難易度 難)

天地人の加護と因果の法則~良縁の結び方~

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
今日は私の気づきについて共有したいと思います。
今日気づいたことは、人間には3つの加護があるということです。
すなわち、天の加護、地の加護、人の加護です。また、輪廻が終わるまで人は因果の法則の中を生き、自分の蒔いた種(原因)から生じた果実(結果)を天地人の縁に出逢って刈り取ります。天地人における加護とは良縁のことです。この記事を理解し実践できれば良縁を結ぶことができると思います。
それぞれの内容について説明します。

人の加護(良縁)

人の加護が一番分かりやすいと思ったので、人の加護から説明しようと思います。
人の加護とは人との良縁と言い換えてもいいかもしれないです。
悪縁は悪い影響がある縁なので、加護はありませんが、それにも意味はあると思います。
それは自分の中にある何かネガティブなものの反映なのです。
自分の心の中に悪いものがない人は新たな悪縁を生み出すことがありません。
もし自分の中に本当に悪いものが無いのに悪縁があるという人は過去の原因が結果となってかえってきているだけだと思います。
人の加護を得る方法は「ありがとう」と人に言うことです。
何もしてもらっていなくても一緒にいてくれていることだけでも「ありがたい」ということに気づけば、「ありがとう」ということに抵抗は特にないはずです。
ただし、誰かれ構わず「ありがとう」と言いなさいということではありません。少しでも同じ時間を共有できたなと思った相手に「さようなら」の代わりに「今日はありがとうございました」と言って別れるのもありではないでしょうか。
「感謝する人にはさらに感謝したくなるようなことが生じる」という宇宙の法則を以前話しましたが、これは人との縁にも適用できます。
ほんのちょっとした縁に感謝できる人はさらに感謝したくなるような縁に出会えるでしょう。
そうすることによって、自分の望む縁を引き寄せることもできるようになるのです。
また、悪縁に対しても別れ際に「ありがとう」ということで、その悪縁から離れることができます。もしくは、その悪縁が良縁に変わったりします。
なぜならば、「ありがとう」といったということは相手の中の良い部分を見たということなので、「良い部分に感謝する人はさらに感謝したくなるような良い部分が与えられる」という結果を生み出すことができるからです。
本当の悪縁ならば別れ際の「ありがとう」の積み重ねにより、どちらかが離れていくことになり、縁が途切れるでしょう。
つまり、人との別れ際に「ありがとうございました」と言うこと(原因)で良縁が引き寄せられる、良縁が結ばれるという結果を生み出すことができるということです。
因果の法則や良縁を結ぶことの本質的な方法というのは以外とシンプルなことの中にあるのです。
あと人は必ず親から生まれます。なので、誰にも感謝できない人でもこの地上に産んでくれた親に感謝することはできるはずです。また、人間関係がない人なんていないはずです。なので、誰でも近くにいる人に感謝することはできるはずです。
だから、やろうと思えば誰でもこの感謝をすることはできます。やろうと思うかどうかです。

地の加護(良い環境を引き寄せる、良い環境・物との縁)

地の加護の表す地とは何かというと、自分の住んでいる家や自分の周りの環境や自分の家の中にある物などのことです。
地の加護を得るにはどうすればいいのかというと、これも人の加護と基本は同じなのですが、まずは自分の家や周りにある物に感謝をする、「ありがとう」と言うということです。
これに一番効果的なのは「掃除」をするということです。家にある一つひとつの物に感謝をしながら掃除をすることで、家にある物があなたのためを思ってくれるようになります。物が人のためを思うというと不思議かもしれませんが、物にも「心」はあるのです。
物だって感謝されるとうれしいと思うのです。
特に不必要になったもの(ゴミ箱に捨てるもの)に特に感謝すると良いでしょう。
なぜならば、ゴミ箱に捨てるものは一度は自分に縁のあったものだからです。また、もう一つにはゴミを捨てることによって何を自分は必要としてないかということが分かるからです。さらに、捨てるものに対して「ありがとう」というとともに「新しいものに生まれ変わってね」と思うことで、不思議と必要な物に困らなくなります。おそらく、この人の家にいけば悪いようにはされないということを物の集合的無意識も感じるのではないかと思っています。
この宇宙のすべては神様の表れであるということを以前話しました。物も神様の一部なのです。なので、信仰心を持っている人は物を大切にすることで物からも大切にされるのです。この世の中は作用が存在するところには必ず反作用が生じるので、物に感謝すれば物からも感謝されるのです。なぜならば、物も神様の一部なので、物の背後にある集合的無意識(神様に通じる意識)が感謝を返してくるからです。
そうすると不思議と今度は対人関係でも大切にされるようになってきます。
集合的無意識は物だけでなく、人の高次の意識において一つにつながっているからです。
全てはONE PIECEなのです。
また、いろいろな物がこの世にあるということは全て過去の人間のおかげです。特に近しい過去の人間、すなわちご先祖様のおかげであることがほとんどだと思います。
なので、ご先祖様に感謝することも地の加護を得るためには大切になってきます。
ご先祖様に感謝する人も不思議と物に困らない生活を送れるようになるでしょう。
もし家に仏壇などがある方はその前でご先祖様に感謝すれば地の加護、物に困らず必要なものがある状態で不必要なものに感謝して別れられる状態、に恵まれるでしょう。
だれでも食事をとったり水を飲まないで生きている人はほとんどいないと思います。また、服を着てない人もあまりいないのではないでしょうか。だからこれも人の加護と同じように誰でも感謝することはできます。少なくともこれを見ている人はそのデバイスに感謝することができると思います。今私はPCに感謝しました。

天の加護(神仏や良き霊との縁)

天の加護とは神様や様々な宗教等における聖者からの加護のことです。地球出身の聖者がたで輪廻を卒業された(解脱された)方というのは、よく学校で卒業した先輩が後輩のことを見守っているように、私たち地球に生きる人類のことを思いやって見守ってくださっています。
なので、私たちはこの地球に生まれた時から神様からの加護も無条件で与えられていますし、聖者がたからの加護も受けているのです。
だから、そのような加護に感謝することは大切だと思います。
もちろん、これは直接は目に見える加護ではないかもしれません。
けれども、何度も現れる法則、「感謝する者にはもっと感謝したくなるようなことが与えられる」にのっとって考えれば、「神様に感謝する者はさらに神様に感謝したくなるようなことが現れる」と考えても何ら不思議はないと思います。
これは外からは見えないので、証明するには自分自身で実感するしかありません。
なぜならば、心の中はそとからはどうしても見えないからです。
心の中を感じられるのは自分だけだからです。
けれども、真実の強い信仰心があれば神様は必ず応えてくださります。
聖者がたに感謝することも大切だとは思いますが、聖者がたが伝えたかったことは、すべての良きものの中心の御方(神様)についてのことなのです。
なので、神様(この宇宙のすべての顕現と未顕現、金剛界と胎蔵界)に感謝することは聖者がたがもっとも望まれていることのうちの一つなのです。
だから、仏様に感謝することでもいいです。同じことだからです。
そうして、神様に感謝するとそれが原因となってさらに神様に感謝したくなるようなこと(結果)が縁を通じて与えられるでしょう。
これも見えないので分かりづらいかもしれませんが、まずこの宇宙を作ってくれた存在に感謝してみることです。それを続けることでもっと感謝したくなるようなことが与えられるでしょう。感謝することはただなので、やってみて損はないはずです。

注意点

今まで述べたことに関して、注意点が一つあります。
それはどの縁に対しても、たとえそれが悪縁であっても不平不満を述べてはならないということです。
悪縁にも自分が蒔いた種が良いものだったのか悪いものだったのかを教えてくれているという少なくともその一つの良い点が含まれているわけです。
だから、それに感謝できない限り、その教え(悪縁があるもしくは再び悪縁とつながる状態)は続きます。
すべての縁の中にある気づきに感謝できたときに、もはや悪縁は悪縁ではなくなり良縁になるか自然と縁が途切れるでしょう。
もし不平不満を述べれば「感謝する人にはさらに感謝したくなるようなことが与えられる」の逆が生じます。すなわち、「不平不満を述べるものにはさらに不平不満を述べたくなるようなことが与えられる」です。宇宙の法則とはこのようにポジティブ方向にもネガティブ方向にも同じように作用するのです。
だから、「天地人のすべての縁に対して不平不満を述べてはならない」し「もし不平不満を述べればさらに不平不満を述べたくなるようなことが生じる」ということを一つ注意しておきます。だから、今まで上で述べてきたようにすべての縁には感謝しなくてはならないのです。
もし何かされて嫌な思いがあるときは、「○○されると嫌な気持ちになるので、このようにしてください」と事実とどうして欲しいかということを具体的に述べると良いと思います。
なぜならば相手も気づいていないことが多いからです。事実を述べ改善して欲しい点を伝えることは不平不満ではなく愛だと思います。
それで離れて行く人はそこまでの人だったのです。
心ある人ならむしろそのように言われたら感謝してくれると思います。

まとめ

人には天の加護、地の加護、人の加護が生まれながらに備わっている。それぞれの加護は神や物や人に感謝するという原因によって、より一層大きな加護(良縁)という結果として与えられる。
注意点は「天地人のすべての縁に不平不満を述べてはならない」し「もし不平不満を述べればさらに不平不満を述べたくなるようなことが生じる」です。
改善してほしい点は「○○されると嫌な気持ちになるので、こうしてください」と具体的に伝える。
逆も真なりで、「天地人のすべての縁に感謝する人にはさらに感謝したくなるような縁が与えらる」ということが言えます。これが良縁の結び方ではないでしょうか。

2017年2月4日土曜日

給料を2倍にアップさせる方法

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
この記事では私が感じる給料をアップさせる方法を書こうと思います。それを書こうと思ったのは、今日友達と話していて友達が時給をあげたいといっていて、私はそういえば前の職場でそういう制度もなかったのにアルバイトから正社員になったのでどういった考えで働いたらそうなったのか、という点が参考になるかと思ったからです。

給料をアップさせるための考え方

給料をアップさせる方法は結論を述べれば簡単です。
それは「人の3倍働くこと」です。
ただし、時間を延ばしてはいけません。同じ時間で人の3倍働けば給料は2倍になると思ってだいたい間違いがないでしょう。
これは会社がどう成り立っているかを考えれば分かります。
会社が求めているのは「仕事の成果」です。
何も、だらだらと長時間働くことは求められていないのです。
むしろ、残業をしなければそれだけ残業代を払わずに済むので会社としてはありがたいのです。
会社が求めているのは仕事の成果なので、短時間で同じ成果が出せるのであればそのような人財を優遇するのは会社から見れば至極当たり前です。
そして、そのためには「人の3倍働くこと」=「人の3倍の成果を出すこと」が必要になってきます。
人の1.2倍からせいぜい1.5倍の成果を出すのであれば、労働時間を延ばすことで対応することができるかもしれません。
けれども、「人の3倍の成果」を出すには労働時間をいくら増やしてもそれは叶いません。
むしろ、「人の3倍の成果」を出すときに考えなければならないのは、「同じ仕事をする際に人の3分の1の時間で終わらせるにはどうすればいいか」≒「人の3倍楽して同じ成果を出すにはどうすればいいか」です。
仕事とは「はたらく」=「はた」を「らく」にすることです。
3倍の仕事をしたいなら、自らが3倍「らく」に仕事をできる、つまり3分の1の時間で同じ仕事ができるようにする方法を考えなければなりません。なぜならば、1日の時間は有限だからです。

私が給料をアップさせるために行った具体的な方法

私が給料をアップさせるために行った具体的な方法はパソコンを有効に活用することです。
たとえば、エクセルであればマクロはもちろん、マクロで行うようなことをあとで使う人のメンテナンスを「楽」にするために、マクロを使わずに数式のみで行うにはどうすればいいかということを考えて構築することなども行いました。
他には統計的な分析による知見を求められた際にも、エクセルだけではなく「R」というフリーの統計ソフトの導入の許可をとり、「R」を用いて様々な統計的分析を行い、それをレポートにしてまとめました。
それは採用人事における意思決定を「楽」にするために活用されたと思いますし、当時の社長から高評価を得ることができました。
つまり、自らの「効率性」だけでなく、周りの人の「効率性」を高めるような仕事をすることが大事になるということです。
そのためにはパソコンの使い方、エクセルの使い方はもちろん、「R」の使い方も学びましたし、統計に関する本もたくさん買って学びました。
そのような「仕事で必要なことに関する自分の脳への投資」は、必ず必要になるでしょう。
ここで重要なのはあまり不必要なことに投資してはいけないということです。
それは投資ではなく浪費です。娯楽の範囲で行うのであればよいのですが、例えば、仕事に英語が必要ない人が、海外旅行のために英語を学ぶというのは、投資ではなく娯楽による浪費の範囲です。浪費が悪いといっているのではなく、それは給料アップには関係ないですよ、ということを言っています。
給料アップに関係することにお金を使うことを投資と言います。それ以外は浪費ですし、浪費も別段悪いことだとは思いませんが、給料アップにはつながらないですよというだけのことです。
海外旅行が自分の仕事の役に立つというのであればそれは投資になると思うので、ぜひやればいいと思います。
そうすることで「人の3倍の成果」を出すことができれば、給料はアップするでしょう。
もしアップしなくてもそれは関係ないのです。なぜならば、それは「天に徳を積む」ことになるからで、必ず給料が上がるよりも「もっと良いこと」として自分に返ってくるからです。
だから、「同じ時間で人の3倍成果を出すにはどうすればいいのか」を考えて実行することが給料をアップさせることの基本であり、さらには給料以外の面でも自分に良いことが返ってくる基本になると考えられます。


まとめ

給料をアップさせるための基本的な考え方は「自己と周囲の人の仕事の効率化を図ることで、同じ時間で人の3倍の成果を出すこと」になると思います。
そのために、私がつかえると思ったツール:パソコン、必要な本を読むこと(自己投資、脳への情報のインプットとその活用)、(価値ある)レポートの作成

2017年2月3日金曜日

薬はお医者さんの言うように飲もうと思います

薬について自己判断で中止するのはやはり良くないと思いました。

薬を飲むというのは一つには自らの過去の悪業の結果を受けているということも含まれていることに気づいたからです。

だから、お医者さんにいいと言われるまでは飲もうと思いました。

それに飲んでいる薬の副作用もほとんどないし、量も大したことはないので、病院に行ったり薬をもらったりする手間はありますが、飲んでいて別段困ることもないので、飲もうと思います。

この程度のカルマの結果で済むのなら、全然問題なく受け入れられます。

なので、お医者さんがいいというまで薬は飲もうと思います。

それを今日この本を読んでいて気づきました。

『超訳 ブッダの言葉』(小池 龍之介 編訳、ディスカバー・トゥエンティワン)