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2017年2月9日木曜日

「『いじめ』が日本の学校からなくならない理由」に関する記事と私の考察 2017/04/20追記

とても興味深い記事を見つけました。

日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由

上の記事は非常に秀逸な記事だと思います。

私も「いじめ」は責任の観点からすれば、犯罪だと思います。

本来であれば警察が取り締まるべき問題だと思います。
そうして、教師は責任をとって懲戒処分を受けるべきです。

それが「いじめ」という言葉で教育の問題に矮小化されているのは、学校という「膜」の中に子供たちが閉じ込められているからだと記事の著者は指摘します。

魂の観点からこの記事を読むと、新しく生まれる子供たちというのは一個の魂を持った存在です。

私たちが子供を産もうとして子供がこの世に誕生してくるように見えますが、魂の世界から見れば逆で、生まれたい魂が先にあって、子供が誕生するのです。

このように「いじめ」という犯罪がまかり通ている学校の環境では子供はもう日本にはあまり生まれたくないと思っているのかもしれません。

だから、少子化が嫌だというのであれば、学校の環境を改善することも、魂の観点からすれば、重要な少子化対策になると私は考えます。

子供を持とうとする親だって、今のような学校環境の中に子供を送り込むのは不安ではないでしょうか。

子を思う親の気持ちは私には想像することしかできませんが、そのような不安を感じる方もいらっしゃるとは思います。

私自身も結婚したとしても、今の学校環境の中に自分の子供を預けたいとはあまり思いません。

できれば自分で教育したいぐらいです。

そもそもの学校の成立を考えれば、学校とは軍隊の優秀な兵士を育成する場所だったのです。

体育会系の部活などがいい例です。

上官が「突撃!」と叫べば、部下が「おー!」と言って自らの生死も考えず突撃する、そういう「兵士」を要請するのが学校の目的だったのです。

戦後は「兵士」が「企業戦士」に変わっただけです。

上司が「右だ」といえば、「はい!」と返事してYESマンになることを訓練しているのが学校という場所なのです。(特に体育会系の部活に顕著)

ここで一応断っておくと、私自身は「はい!」と返事をすることは大事だと思っています。
これは「指導される力」という力がこの世の中には存在していると思っているからです。
「指導される力」がなくては指導する側がいくら優秀でも指導される側は成長しないのです。これは部下を持っている方や教える相手がいる方は理解できるのではないでしょうか。聖書にも優秀なものを1度叱ることは、愚鈍なものを100回叱るよりも効果があるというようなことが書かれています。
ただし、間違っていると感じたことには、間違っているとはっきり主張することも大切だと考えます。これには、勇気が必要です。なぜならば、上司は部下の生殺与奪の権利を持っているからです。
けれども、勇気を出せば言えないことではありません。そして、その勇気が本物であれば、心ある上司であれば、その意見をしてくれた人に最大級の感謝をささげるでしょう。
なぜならば、上司とはその力ゆえに時に話し相手に気を使われすぎることにうんざりすることがあるからです。
だからと言って、何でもかんでも気軽に行っていいかというと、それは違います。
なぜならば、上司は生殺与奪の権利を持っているからです。
最大限の配慮をしつつ最高の勇気を持って相対することが自らの魂を向上させるとても良い方法だと思います。
この件に関する参考文献には「貞観静養」(新釈漢文大系 (95)、原田 種成 (著))があります。
(アマゾンリンク :https://goo.gl/WA2np0)

私が問題だと思うのは、理不尽なことにまでも「はい!」を要求するということです。
また、そうした場合、対応方法は少なくとも三つあると思います。
一つは黙ってそこから去る、もう一つは、返事をする前に、どうしても腑に落ちない部分を中心に、なぜかと言うことを聞くことです。
本当に、意味のある命令を発している上司であれば、その意味をあいての理解力に応じて、話すことができるでしょう。
そこでももちろん勇気は必要です。
「勇気」を出せばなんでもできる!
私はみなさんの味方です。

あるいは自分の意見をどうどうと発信して論戦を行うことも時には必要だと思います。
ただし、それには相当の言い方や論破の仕方を論理だけでなく感情面でも行わないといけないと思います。

一般の社会であれば、どうしても合わない上司のもとからは、部署を移動したり、場合によっては転職することで離れることができます。離れることも「合わないところから去ることができる力」という立派な力だと思います。

だから、学校を自分の意志で転校したり行かないと判断できる人というのは立派な力「合わないところから去ることができる力」を持っていると思います。

この力がなぜ必要になるのかというと、上の記事にも少し書かれていましたが、宗教で考えれば分かりやすいのです。たとえば、人々に悪いことを行わせる宗教があった時に、オウム真理教の事件を見ても一度洗脳されると容易には人がそこから抜け出すことは困難であるということが分かります。
つまり、宗教組織という「膜」の中では何が正常で何が異常かという考え方が外部の世界と異なっていくことが多いということです。
学校という「膜」の中でも同じことです。

そのようなことを考えると、「学校教育の場から離れることができる人たち」≒「自分の頭で考えることができ、自らをおかしな洗脳から解除できる人たち」と言っても過言ではないと私は考えます。

そういう人たちが自由に学べる場というものがもっとあってもいいかもしれないと思いました。

今後の私の活動の一つの方向性になるかもしれません。

一つの記事と私の過去の経験から今日はいろいろなことを書きました。

この記事が誰か一人にとってでも何らかの参考になれば幸いです。

また、私がここに書いていることはすべて一人の人間の提案であり、命令などではまったくありません。

こういう考え方もありますよ、という私からの個人的な紹介です。
考え方というのはほかにも無限にあり得ると思います。
自分で考えて、好きな方法を選択してみるというのも面白いのではないでしょうか。

これもあくまでも提案です。

みなさんの自由にしてください。

私はみなさんが大好きです。

ただし、この世界には法則が働いていると私は感じていますので、自由を得るためには法則を学ぶことがとても大切になると私は思っています。

宗教とは法則を抽象化したものです。

抽象化されているのでその背後にある法則を自分で見出さなければならないし、そうしないとその法則を使うことはできません。

みなさんが学ばなくても私はみなさんの代わりに学びます。

ただし、真の自由を目指すのであれば、学ぶことも悪くはないかもしれないのではないかと思います。たとえば、少なくとも、相手との縁が良い縁なのであれば、お互いに感謝をしながら話している間は、別れることはなく、また、私は神様が大好きなので、神様が本当に大好きな間は、誰も別れることはないと私は思っています。神様が好きでない人でも神様という言葉を知っている限り別れることはないと思います。

神様について学ぶ際に、参考になる書籍を紹介いたします。

だれか一人がどれか一つでも読んでくれたら幸いです。

私の理解もまだまだ途上なので、難易度は私の独断と偏見でつけております。

みなさんの受け取り方と異なる可能性がありますので、ご注意ください。

『古事記』(池澤夏樹 訳、河出書房新社)(文章量 少、難易度 最高難度)、
『新釈古事記伝』(阿部國治 著、栗山 要 編、致知出版社)(文章量 多、難易度 易)、
『歎異抄』(角川ソフィア文庫、浄土真宗)(文章量 少、難易度 難)、
『法華経』(日蓮宗、天台宗)(文章量 多、難易度 難)、
『般若心経』(真言宗)(文章量 少、難易度 難)、
『聖書』(新共同訳、日本聖書協会)(文章量 多、難易度 難)、
『シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター』(日本ヴェーダーンタ協会)(文章量 中、難易度 難)、
『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著)(文章量 少、難易度 難)、
『宗教の科学』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 中、難易度 中)、
『人間の永遠の探求』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 多、難易度 易)、
『神秘形而上学入門』(平一 著、ブイツーソリューションーション 発行)(文章量 中、難易度 難)
『バーガヴァタ プラーナ』(文章量 多、難易度 難)

天地人の加護と因果の法則~良縁の結び方~

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
今日は私の気づきについて共有したいと思います。
今日気づいたことは、人間には3つの加護があるということです。
すなわち、天の加護、地の加護、人の加護です。また、輪廻が終わるまで人は因果の法則の中を生き、自分の蒔いた種(原因)から生じた果実(結果)を天地人の縁に出逢って刈り取ります。天地人における加護とは良縁のことです。この記事を理解し実践できれば良縁を結ぶことができると思います。
それぞれの内容について説明します。

人の加護(良縁)

人の加護が一番分かりやすいと思ったので、人の加護から説明しようと思います。
人の加護とは人との良縁と言い換えてもいいかもしれないです。
悪縁は悪い影響がある縁なので、加護はありませんが、それにも意味はあると思います。
それは自分の中にある何かネガティブなものの反映なのです。
自分の心の中に悪いものがない人は新たな悪縁を生み出すことがありません。
もし自分の中に本当に悪いものが無いのに悪縁があるという人は過去の原因が結果となってかえってきているだけだと思います。
人の加護を得る方法は「ありがとう」と人に言うことです。
何もしてもらっていなくても一緒にいてくれていることだけでも「ありがたい」ということに気づけば、「ありがとう」ということに抵抗は特にないはずです。
ただし、誰かれ構わず「ありがとう」と言いなさいということではありません。少しでも同じ時間を共有できたなと思った相手に「さようなら」の代わりに「今日はありがとうございました」と言って別れるのもありではないでしょうか。
「感謝する人にはさらに感謝したくなるようなことが生じる」という宇宙の法則を以前話しましたが、これは人との縁にも適用できます。
ほんのちょっとした縁に感謝できる人はさらに感謝したくなるような縁に出会えるでしょう。
そうすることによって、自分の望む縁を引き寄せることもできるようになるのです。
また、悪縁に対しても別れ際に「ありがとう」ということで、その悪縁から離れることができます。もしくは、その悪縁が良縁に変わったりします。
なぜならば、「ありがとう」といったということは相手の中の良い部分を見たということなので、「良い部分に感謝する人はさらに感謝したくなるような良い部分が与えられる」という結果を生み出すことができるからです。
本当の悪縁ならば別れ際の「ありがとう」の積み重ねにより、どちらかが離れていくことになり、縁が途切れるでしょう。
つまり、人との別れ際に「ありがとうございました」と言うこと(原因)で良縁が引き寄せられる、良縁が結ばれるという結果を生み出すことができるということです。
因果の法則や良縁を結ぶことの本質的な方法というのは以外とシンプルなことの中にあるのです。
あと人は必ず親から生まれます。なので、誰にも感謝できない人でもこの地上に産んでくれた親に感謝することはできるはずです。また、人間関係がない人なんていないはずです。なので、誰でも近くにいる人に感謝することはできるはずです。
だから、やろうと思えば誰でもこの感謝をすることはできます。やろうと思うかどうかです。

地の加護(良い環境を引き寄せる、良い環境・物との縁)

地の加護の表す地とは何かというと、自分の住んでいる家や自分の周りの環境や自分の家の中にある物などのことです。
地の加護を得るにはどうすればいいのかというと、これも人の加護と基本は同じなのですが、まずは自分の家や周りにある物に感謝をする、「ありがとう」と言うということです。
これに一番効果的なのは「掃除」をするということです。家にある一つひとつの物に感謝をしながら掃除をすることで、家にある物があなたのためを思ってくれるようになります。物が人のためを思うというと不思議かもしれませんが、物にも「心」はあるのです。
物だって感謝されるとうれしいと思うのです。
特に不必要になったもの(ゴミ箱に捨てるもの)に特に感謝すると良いでしょう。
なぜならば、ゴミ箱に捨てるものは一度は自分に縁のあったものだからです。また、もう一つにはゴミを捨てることによって何を自分は必要としてないかということが分かるからです。さらに、捨てるものに対して「ありがとう」というとともに「新しいものに生まれ変わってね」と思うことで、不思議と必要な物に困らなくなります。おそらく、この人の家にいけば悪いようにはされないということを物の集合的無意識も感じるのではないかと思っています。
この宇宙のすべては神様の表れであるということを以前話しました。物も神様の一部なのです。なので、信仰心を持っている人は物を大切にすることで物からも大切にされるのです。この世の中は作用が存在するところには必ず反作用が生じるので、物に感謝すれば物からも感謝されるのです。なぜならば、物も神様の一部なので、物の背後にある集合的無意識(神様に通じる意識)が感謝を返してくるからです。
そうすると不思議と今度は対人関係でも大切にされるようになってきます。
集合的無意識は物だけでなく、人の高次の意識において一つにつながっているからです。
全てはONE PIECEなのです。
また、いろいろな物がこの世にあるということは全て過去の人間のおかげです。特に近しい過去の人間、すなわちご先祖様のおかげであることがほとんどだと思います。
なので、ご先祖様に感謝することも地の加護を得るためには大切になってきます。
ご先祖様に感謝する人も不思議と物に困らない生活を送れるようになるでしょう。
もし家に仏壇などがある方はその前でご先祖様に感謝すれば地の加護、物に困らず必要なものがある状態で不必要なものに感謝して別れられる状態、に恵まれるでしょう。
だれでも食事をとったり水を飲まないで生きている人はほとんどいないと思います。また、服を着てない人もあまりいないのではないでしょうか。だからこれも人の加護と同じように誰でも感謝することはできます。少なくともこれを見ている人はそのデバイスに感謝することができると思います。今私はPCに感謝しました。

天の加護(神仏や良き霊との縁)

天の加護とは神様や様々な宗教等における聖者からの加護のことです。地球出身の聖者がたで輪廻を卒業された(解脱された)方というのは、よく学校で卒業した先輩が後輩のことを見守っているように、私たち地球に生きる人類のことを思いやって見守ってくださっています。
なので、私たちはこの地球に生まれた時から神様からの加護も無条件で与えられていますし、聖者がたからの加護も受けているのです。
だから、そのような加護に感謝することは大切だと思います。
もちろん、これは直接は目に見える加護ではないかもしれません。
けれども、何度も現れる法則、「感謝する者にはもっと感謝したくなるようなことが与えられる」にのっとって考えれば、「神様に感謝する者はさらに神様に感謝したくなるようなことが現れる」と考えても何ら不思議はないと思います。
これは外からは見えないので、証明するには自分自身で実感するしかありません。
なぜならば、心の中はそとからはどうしても見えないからです。
心の中を感じられるのは自分だけだからです。
けれども、真実の強い信仰心があれば神様は必ず応えてくださります。
聖者がたに感謝することも大切だとは思いますが、聖者がたが伝えたかったことは、すべての良きものの中心の御方(神様)についてのことなのです。
なので、神様(この宇宙のすべての顕現と未顕現、金剛界と胎蔵界)に感謝することは聖者がたがもっとも望まれていることのうちの一つなのです。
だから、仏様に感謝することでもいいです。同じことだからです。
そうして、神様に感謝するとそれが原因となってさらに神様に感謝したくなるようなこと(結果)が縁を通じて与えられるでしょう。
これも見えないので分かりづらいかもしれませんが、まずこの宇宙を作ってくれた存在に感謝してみることです。それを続けることでもっと感謝したくなるようなことが与えられるでしょう。感謝することはただなので、やってみて損はないはずです。

注意点

今まで述べたことに関して、注意点が一つあります。
それはどの縁に対しても、たとえそれが悪縁であっても不平不満を述べてはならないということです。
悪縁にも自分が蒔いた種が良いものだったのか悪いものだったのかを教えてくれているという少なくともその一つの良い点が含まれているわけです。
だから、それに感謝できない限り、その教え(悪縁があるもしくは再び悪縁とつながる状態)は続きます。
すべての縁の中にある気づきに感謝できたときに、もはや悪縁は悪縁ではなくなり良縁になるか自然と縁が途切れるでしょう。
もし不平不満を述べれば「感謝する人にはさらに感謝したくなるようなことが与えられる」の逆が生じます。すなわち、「不平不満を述べるものにはさらに不平不満を述べたくなるようなことが与えられる」です。宇宙の法則とはこのようにポジティブ方向にもネガティブ方向にも同じように作用するのです。
だから、「天地人のすべての縁に対して不平不満を述べてはならない」し「もし不平不満を述べればさらに不平不満を述べたくなるようなことが生じる」ということを一つ注意しておきます。だから、今まで上で述べてきたようにすべての縁には感謝しなくてはならないのです。
もし何かされて嫌な思いがあるときは、「○○されると嫌な気持ちになるので、このようにしてください」と事実とどうして欲しいかということを具体的に述べると良いと思います。
なぜならば相手も気づいていないことが多いからです。事実を述べ改善して欲しい点を伝えることは不平不満ではなく愛だと思います。
それで離れて行く人はそこまでの人だったのです。
心ある人ならむしろそのように言われたら感謝してくれると思います。

まとめ

人には天の加護、地の加護、人の加護が生まれながらに備わっている。それぞれの加護は神や物や人に感謝するという原因によって、より一層大きな加護(良縁)という結果として与えられる。
注意点は「天地人のすべての縁に不平不満を述べてはならない」し「もし不平不満を述べればさらに不平不満を述べたくなるようなことが生じる」です。
改善してほしい点は「○○されると嫌な気持ちになるので、こうしてください」と具体的に伝える。
逆も真なりで、「天地人のすべての縁に感謝する人にはさらに感謝したくなるような縁が与えらる」ということが言えます。これが良縁の結び方ではないでしょうか。

2017年2月4日土曜日

給料を2倍にアップさせる方法

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
この記事では私が感じる給料をアップさせる方法を書こうと思います。それを書こうと思ったのは、今日友達と話していて友達が時給をあげたいといっていて、私はそういえば前の職場でそういう制度もなかったのにアルバイトから正社員になったのでどういった考えで働いたらそうなったのか、という点が参考になるかと思ったからです。

給料をアップさせるための考え方

給料をアップさせる方法は結論を述べれば簡単です。
それは「人の3倍働くこと」です。
ただし、時間を延ばしてはいけません。同じ時間で人の3倍働けば給料は2倍になると思ってだいたい間違いがないでしょう。
これは会社がどう成り立っているかを考えれば分かります。
会社が求めているのは「仕事の成果」です。
何も、だらだらと長時間働くことは求められていないのです。
むしろ、残業をしなければそれだけ残業代を払わずに済むので会社としてはありがたいのです。
会社が求めているのは仕事の成果なので、短時間で同じ成果が出せるのであればそのような人財を優遇するのは会社から見れば至極当たり前です。
そして、そのためには「人の3倍働くこと」=「人の3倍の成果を出すこと」が必要になってきます。
人の1.2倍からせいぜい1.5倍の成果を出すのであれば、労働時間を延ばすことで対応することができるかもしれません。
けれども、「人の3倍の成果」を出すには労働時間をいくら増やしてもそれは叶いません。
むしろ、「人の3倍の成果」を出すときに考えなければならないのは、「同じ仕事をする際に人の3分の1の時間で終わらせるにはどうすればいいか」≒「人の3倍楽して同じ成果を出すにはどうすればいいか」です。
仕事とは「はたらく」=「はた」を「らく」にすることです。
3倍の仕事をしたいなら、自らが3倍「らく」に仕事をできる、つまり3分の1の時間で同じ仕事ができるようにする方法を考えなければなりません。なぜならば、1日の時間は有限だからです。

私が給料をアップさせるために行った具体的な方法

私が給料をアップさせるために行った具体的な方法はパソコンを有効に活用することです。
たとえば、エクセルであればマクロはもちろん、マクロで行うようなことをあとで使う人のメンテナンスを「楽」にするために、マクロを使わずに数式のみで行うにはどうすればいいかということを考えて構築することなども行いました。
他には統計的な分析による知見を求められた際にも、エクセルだけではなく「R」というフリーの統計ソフトの導入の許可をとり、「R」を用いて様々な統計的分析を行い、それをレポートにしてまとめました。
それは採用人事における意思決定を「楽」にするために活用されたと思いますし、当時の社長から高評価を得ることができました。
つまり、自らの「効率性」だけでなく、周りの人の「効率性」を高めるような仕事をすることが大事になるということです。
そのためにはパソコンの使い方、エクセルの使い方はもちろん、「R」の使い方も学びましたし、統計に関する本もたくさん買って学びました。
そのような「仕事で必要なことに関する自分の脳への投資」は、必ず必要になるでしょう。
ここで重要なのはあまり不必要なことに投資してはいけないということです。
それは投資ではなく浪費です。娯楽の範囲で行うのであればよいのですが、例えば、仕事に英語が必要ない人が、海外旅行のために英語を学ぶというのは、投資ではなく娯楽による浪費の範囲です。浪費が悪いといっているのではなく、それは給料アップには関係ないですよ、ということを言っています。
給料アップに関係することにお金を使うことを投資と言います。それ以外は浪費ですし、浪費も別段悪いことだとは思いませんが、給料アップにはつながらないですよというだけのことです。
海外旅行が自分の仕事の役に立つというのであればそれは投資になると思うので、ぜひやればいいと思います。
そうすることで「人の3倍の成果」を出すことができれば、給料はアップするでしょう。
もしアップしなくてもそれは関係ないのです。なぜならば、それは「天に徳を積む」ことになるからで、必ず給料が上がるよりも「もっと良いこと」として自分に返ってくるからです。
だから、「同じ時間で人の3倍成果を出すにはどうすればいいのか」を考えて実行することが給料をアップさせることの基本であり、さらには給料以外の面でも自分に良いことが返ってくる基本になると考えられます。


まとめ

給料をアップさせるための基本的な考え方は「自己と周囲の人の仕事の効率化を図ることで、同じ時間で人の3倍の成果を出すこと」になると思います。
そのために、私がつかえると思ったツール:パソコン、必要な本を読むこと(自己投資、脳への情報のインプットとその活用)、(価値ある)レポートの作成

2017年2月3日金曜日

薬はお医者さんの言うように飲もうと思います

薬について自己判断で中止するのはやはり良くないと思いました。

薬を飲むというのは一つには自らの過去の悪業の結果を受けているということも含まれていることに気づいたからです。

だから、お医者さんにいいと言われるまでは飲もうと思いました。

それに飲んでいる薬の副作用もほとんどないし、量も大したことはないので、病院に行ったり薬をもらったりする手間はありますが、飲んでいて別段困ることもないので、飲もうと思います。

この程度のカルマの結果で済むのなら、全然問題なく受け入れられます。

なので、お医者さんがいいというまで薬は飲もうと思います。

それを今日この本を読んでいて気づきました。

『超訳 ブッダの言葉』(小池 龍之介 編訳、ディスカバー・トゥエンティワン)

2017年2月1日水曜日

統合失調症完治の他の人の例と言葉のサプリメントの発見

ご挨拶

他に統合失調症を完全治癒した人がいないか、ネットで探していたら、言葉のサプリメントを「服用」することで完治した人がいるのをこちらのページで発見しました。とてもいい言葉のサプリメントだと思ったので、こちらでも紹介させていただきます。

言葉のサプリメント

「『〇〇 〇〇(本名)』は、健康で生きていきます。
私はこの世に生まれたことや、今まで出会ってきた人たちに感謝しています。
私はたくさんの人たちに支えられて生きてこられました。
苦労や努力、辛かったことや楽しい思いで、全てが私の宝物です。
神様がくれた才能や能力、試練、出逢いのおかげで今の私があります。
私はどんな出来事にも感謝をしていきます。
私は、いつも守っていただいているご先祖様に感謝しています。
私はとても幸せです。ありがとうございます。」

サプリメントの服用方法

この言葉のサプリメントを毎日3回心を込めて唱えることが「服用」となるようです。とてもいいアイデアだと思いました。
また、幻聴が聞こえたらそれに対してもその都度感謝するということが書かれていまた。私はもう幻聴はありませんがとても参考になりました。
私自身にとっての言葉のサプリメントは「般若心境」だと思います。

私が統合失調症の完全治癒に必要だと思うこと

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
このページを見ている方は幸運だと思います。
ここでは、私が21歳のときに統合失調症と診断されてから29歳の現在までの約8年間に統合失調症を完全治癒させるために必要だと感じた方法を簡潔にまとめます。
もちろん、これは私が様々な宗教を学んだ結果そうだと考えるところなので、お医者さんが考える方法とは違う可能性もあります。
さらに言えば、統合失調症になったおかげで私はこの宇宙と生命に対しての理解が非常に深まりました。魂や輪廻、解脱、因果の法則、悪霊と善霊、神(仏、一なるもの)、振動数の法則・波動の法則、一霊四魂、三極の法則、七つのチャクラ(と2つの隠れたチャクラ)、潜在意識と顕在意識、真我(仏性、神の分光、アートマン)、体のエネルギーを増やす体操など(他にもいろいろありますが)について理解できるようになりました。もちろん、まだまだ分からないこともたくさんあるので、日々勉強と精進に努めています。


完全治癒に必要なこと

私が統合失調症の完全治癒に必要だと感じることは以下の4つです。
①体力の回復
②聖典の学習
③心の浄化(神仏への祈りと悔い改め)
④お祓いの神聖魔法と瞑想
それぞれ説明します。
①~④は順番に行ってください。
つまり、①を終えてから②、②を終えてから③ということです。
④に関しては①~③を終えてから行わないと、統合失調症が悪化するという大きなリスクがあります。
たいていの人は①~③で回復するはずです。

①体力の回復

まず、統合失調症になった方は陽性症状や陰性症状により体力を消耗していると思いますので、ゆっくりと休み体力の回復を図ることが必要だと思います。
そのあたりのことや基本的な方向性については、2013年11月11日の「統合失調症克服に必要なこと」や、2013年11月19日の「統合失調症回復に必要なこと②」の記事に書いております。
ポイントをまとめると、まずゆっくりと休んで、睡眠、服薬、リハビリ、認知の仕方の修正、SST、時間が必要であるということです。認知の仕方の修正で私が一番役に立ったのは、2014年6月28日の「統合失調症を悪化させる言葉、統合失調症から回復できる言葉」の記事で書いた天国言葉です。天国言葉を繰り返し唱え、地獄言葉を口にしないようにするだけで、現実が好転していきました。これは頭に天国言葉の回路が生じるからです。天国言葉などについては斎藤一人さんの書籍「幸福力(しあわせりょく)」などが読みやすくて分かりやすいです。この段階で体力が快復して来たら、障害者雇用などでオープンで働くのもありだと思います。きっと自信がつくことでしょう。

②聖典の学習

それらがすんだら、次に「聖典の学習」が効果的であると思います。この「聖典の学習」は認知の仕方の修正の分類に入ります。なぜ単に認知の仕方の修正だけではなく、「聖典の学習」が効果的なのかというと、聖典には人類の遭遇する苦悩とそれらの解決方法が余すところなく書かれているからです。なので、これは統合失調症の方に限らず、一般の方にとっても大いに得るところがあると私は思います。体力がある程度回復されたら聖典を学習されると自らの苦悩を学びに変えていくことができると思います。お勧めなのは、以下の書籍です。
『古事記』(池澤夏樹 訳、河出書房新社)(文章量 少、難易度 中)、
『新釈古事記伝』(阿部國治 著、栗山 要 編、致知出版社)(文章量 多、難易度 易)、
『歎異抄』(角川ソフィア文庫、浄土真宗)(文章量 少、難易度 易)、
『法華経』(日蓮宗、天台宗)(文章量 多、難易度 難)、
『般若心経』(真言宗)(文章量 少、難易度 難)、
『聖書』(新共同訳、日本聖書協会)(文章量 多、難易度 難)、
『シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター』(日本ヴェーダーンタ協会)(文章量 中、難易度 難)、
『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著)(文章量 少、難易度 難)、
『宗教の科学』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 中、難易度 中)、
『人間の永遠の探求』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 多、難易度 易)、
『神秘形而上学入門』(平一 著、ブイツーソリューションーション 発行)(文章量 中、難易度 難)
『バーガヴァタ プラーナ』(文章量 多、難易度 難)
これらの中から、もしくは他の書籍でもいいですが、気になる聖典を読んでみることをお勧めします。

③心の浄化

聖典の学習をお勧めする理由は、この③心の浄化に役立つと私は考えているからです。心を浄化するには、何が清浄なもので何が不浄なものかを知らなくてはいけません。また、何を人は苦しいと感じ、何が人を浄化するのかを知らなければなりません。そのために聖典の学習をお勧めしたのです。また、聖典の学習を行っていくと、「神」(仏)についての明確な概念が生じ始めます。「神」は私たちの心を浄化する絶対的な存在であるので、次のような言葉(言霊)を唱えると心が浄化されていきます。もちろん、唱えるだけでは本当は駄目で、唱えたうえで感じたことを実行する必要があるのですが、それもまずは唱えないことには行えないので、まずは唱えることから始めればよいのです。その言葉とは「神様お助けいただきましてありがとうございます。」です。この詳しい意味は、2017年1月19日の「奇跡の招待状~奇跡を起こす魔法の言葉~」の記事に書いています。この言葉を唱えていると、心の中が浄化されていくような感覚と同時に、過去の反省点や後悔なども浮かんできます。時には涙が流れることもあるでしょう。そういうときは、悔い改めのチャンスです。なるべく、深くその事柄を悔い改めたうえで、謝れる相手がいれば謝ったり、感謝する相手がいれば感謝するなど行うべきことを行い、さらに続けて魔法の言葉を唱えると良いでしょう。

④お祓いの神聖魔法と瞑想

ほとんどの場合③心の浄化までで統合失調症が治ると思います。けれども、それでも治らない方のみ④お払いの神聖魔法に進むとよいのではないかと思います。つまり、④は体力が十分回復して、聖典を学習して、心が浄化された方以外行ってはなりません。①~③ができてない状態で④を行ってしまうと、逆に統合失調症が悪化するリスクがあります。私の場合は③心の浄化(神仏への祈りと悔い改め)を大体半年から1年ぐらいかけて行いました。④お払いの神聖魔法は③心の浄化(神仏への祈りと悔い改め)がしっかりと終わってないと意味をなさないどころかリスクがあるので、必ず心の浄化を行い神仏への信仰心を強く持ってから行ってください。お払いの神聖魔法については、2017年1月23日の「私が統合失調症を克服した(完全治癒させた)具体的な方法~私に悪霊が憑いた理由と取り除いた方法~」に詳しく書いてあります。強い信仰心があるかということと、心が浄化されているかということを確認したうえで、お払いの神聖魔法を使ってください。
また、統合失調症を完全治癒させる方法に「瞑想」という方法がありえますが、これは体力の回復と聖典の学習と心の浄化を行ったうえで行わないと、これもまた統合失調症を悪化させるリスクがあります。つまり、統合失調症を克服させる基本は①~③であるということです。「瞑想」に関しては、2017年1月27日の「統合失調症の方が瞑想をするリスクと効用」の記事を参考にしてください。


薬の調整について

薬は副作用があるのであれば別ですが、基本は急にやめるのではなく、徐々にやめるほうが体への負荷は少ないでしょう。
そのあたりはお医者さんと相談したり、お医者さんの意見をよく聞くことをお勧めします。
薬の量が多い状態からいきなり薬をやめると、エネルギーが急に流れるので、テンションが上昇してしまうためです。


最後に

このページにたどり着いた方は幸運だと思います。
あなたに神の祝福がありますように。

2017年1月28日土曜日

コメント欄の解放と連絡先について

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
このブログに対してコメントをされたい方、もしくは私と直接連絡を取りたいという方がいらっしゃるかもしれないと考えまして、コメント欄を解放しました。また、私への連絡方法を記載します。


コメント欄の解放

コメント欄にコメントをされる方はGoogleアカウント(無料)を取得してください。今すでにGoogleアカウントをご利用されている方はそのアカウントを用いてコメントすることも可能です。インターネット上にコメントが残る可能性がありますので、必ずしも本名を用いなくても結構です。

連絡先について

私への連絡は「詳細プロフィールを表示」→「お問い合わせ」の下の「メール」からメールにて直接連絡することが可能です。いただいたメールはしっかりと読ませていただきます。また、メールの内容を当事者や関係者の方に断りもなく公開したりすることもありません。
皆様の健康とご多幸をお祈り申し上げます。


2017年1月27日金曜日

統合失調症の方が瞑想をするリスクと効用

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
以前の記事で、統合失調症の方が統合失調症を克服するためには魔法の言葉「神様お助けいただきましてありがとうございます。」を唱えるということと、瞑想をお勧めしましたが、ここで一つ注意点がありますので、お伝えさせていただきたいと思います。


瞑想の効用とリスク

統合失調症の方に限らず、瞑想には効果もあればリスクもあります。これはお医者さんが処方される薬に効果があればリスクもあるのと同じです。なので、自分勝手なやり方で瞑想をすることは非常にリスクがある行いであるといえるでしょう。しっかりとした瞑想の経験があり瞑想の仕方を理解していらっしゃる聖なる方から、直接指導していただくのが一番安全な方法だと思います。
瞑想のリスクとして「統合失調症になる可能性がある」ということがあげられます。統合失調症の治癒のために瞑想を勧めているのに、矛盾しているようですが、そうではありません。効果がポジテブ方向にでるのか、ネガテブ方向に出るのかという違いだけです。
瞑想の効用としては、聖なるもの・良き霊とのつながりを感じられるようになるということがあげられます。逆にリスクとしては悪魔的なもの・悪霊とつながってしまうというリスクがあげられます。
なぜこのようなことが起こるのかといいますと、瞑想のやり方にもよりますが、瞑想とは目を閉じてじっとして呼吸を見つめ聖なるものとつながろうとする行為です。そして、そのような状態では潜在意識が活発に働くようになります。けれども、聖なるものが何かもわからずに、そのような状態になりますと、潜在意識にはポジテブとネガテブの二つの意識が入っていますので、潜在意識のネガテブの部分が働きだして、良き霊ではなく宇宙に漂っている悪霊を自身の心にくっつけてしまう可能性があるのです。
だから、瞑想は聖なる存在とは何かということに関する明確な知識を獲得してそれを血肉と化してからでないと行うことは危険だと思います。
逆に、聖なる存在とは何かという明確な概念を獲得したうえで行うのであれば、そのリスクは減少し、さらに聖なる存在や良き霊とのつながりを感じることができるという効用が生じます。
なので、瞑想のリスクが顕在化するか、瞑想の効用が得られるか、というのは完全にその人の心の中に何が入っているのかという点に依存します。
ここで、私の考えですが、統合失調症の方はおそらく(誰の心の中にもあるネガテブとは別に)悪霊が憑いている方が多いと感じますので(昔は統合失調症は狐憑きと言われていました)、聖なるものとは何かという概念や適切な指導者なしに瞑想をすることは、非常にリスクが高い行為だと考えられます。
逆に、統合失調症の方でも聖なる存在とは何かという明確な概念や適切な指導者のもとでそれを行うのであれば、そのリスクは最小化することが可能であると考えます。
さらに、統合失調症の克服(完全治癒)にはそのような聖なる存在に関する明確な概念と適切な指導者の下での瞑想というものは不可欠であると考えています。
なぜならば、瞑想時には良き霊とも悪霊ともどちらともつながりやすいということは、自分に憑いている悪霊やもしくは自分の中のネガテブな意識を直接的に善霊に転化したり良い意識のエネルギーに昇華しやすくなるからです。
つまり、瞑想には善であれ悪であれ霊を感じやすくなるという効果があるということです。
なので、自分勝手な瞑想は非常にリスクがあるとも言えます。


良き集団内で瞑想することの効果(瞑想のリスクを下げ、安全性を高める)

ここで、良き集団内で瞑想することの効果について書きます。
瞑想の効用とリスクで書きましたように、瞑想とは霊を感じやすくなる、すなわち、高次元界との距離を縮める行為であります。そして、高次元界とは何もどこか遠く離れた場所にあるのではなく、今私たちが存在しているこの場所に同時に存在しているのです。ただし、普段私たちにそれが感じられないのは高次元界の振動数(波長・波動)と私たちの物質界の振動数が異なるからです(中には霊感が強く、その場の霊的な波動をお感じになるかたもいらっしゃるかもしれません)。
良き集団の中で瞑想をすると、場のエネルギーが変わり、そこにグルジや聖者のエネルギーが強くあふれているなということを私は確かに感じます。
このエネルギーが瞑想者の砦となり、仮に自分の中に悪い想念が多少ともあったとしても、悪霊がよってくることを防ぐ効力を発揮するのです。
また、良き人たちが集まることにより、想念はエネルギーを持つので、良き想念が集まると、そこに光のフィールドのようなものができ、高次元界では光のかたまりとなるのではないかと私は思っています。おそらく、そうだろうなと思います。
また、引き寄せの法則から考えても、光が強くなればさらに光を集めますので、良き人たちといっしょに瞑想をすることは非常に安全性の高い瞑想方法だと感じています。
この良き集団とは聖なる存在とは何かということについてよく勉強している集団だと私は感じます。
なので、間違っても悪い集団(聖なる存在を否定したり、よくわかりませんが邪念を制御できないような人たち(?))と一緒に瞑想をしてはいけないと思います。
つまり、波動の悪いところで瞑想をすることはお勧めできません。それでは悪霊を自分にくっつけて自分から統合失調症にかかろうとしているようなものです。
なので、初心者もベテランも良き集団の中で瞑想することは自らを守り周りの人を守ることのできる非常に有益な方法だと私は思います。


私がお勧めする瞑想法

私はSRF瞑想会で瞑想していますが、禅寺で瞑想してもいいと思います。私がお勧めするのは初心者は特にどこでもいいので、良き人たち(聖なるものに対しての多少とも知識があり、今までに瞑想の経験と実績のある人たち)の集まりの中でしっかりとした指導のもと瞑想されることをお勧めします。
それと同時に自身も神仏などの聖なる存在に対する学びを深めることにより、自らの瞑想の質をあげることで、病気の治癒にも効果があると私は考えます。
また、こころを善霊・良き霊・聖なるものに向けるために、仏壇や祭壇が家にあるのであれば、そこに毎日お参りするとよいと思います。また、家で一人で瞑想するのであればそのような場所の前で行うと良いと思います。聖なる存在があなたを守ってくださるでしょう。
聖なる存在について、学ぶ際には以下のような書籍を参考にするとよいかもしれません。
『古事記』(池澤夏樹 訳、河出書房新社)
『歎異抄』(角川ソフィア文庫、浄土真宗)
『法華経』(日蓮宗、天台宗)
『般若心経』(真言宗)
『聖書』(新共同訳、日本聖書協会)
『シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター』(日本ヴェーダーンタ協会)
『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著)
『宗教の科学』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)
『人間の永遠の探求』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)
『神秘形而上学入門』(平一 著、ブイツーソリューションーション 発行)

2017年1月23日月曜日

私が統合失調症を克服した(完全治癒させた)具体的な方法~私に悪霊が憑いた理由と取り除いた方法~

ご挨拶

みなさん、こんにちは。 私が以前書いた記事では統合失調症を克服(完全治癒)した具体的な手法までは明かしませんでした。具体的な手法を公開するか迷った理由は、一つにはこの本の秘密をふさわしくない人に渡してはならないと書かれている本に書いてある方法であるからです。もう一つは聖書(マタイ 12 43-45、ルカ 11 24-26)に(信仰心とともに心が浄化されてないうちに)悪霊を払った場合に払われた人がどうなるかというリスクが書かれているからです。ただし、真実の正しい知識を公開した方が統合失調症で苦しんでいる方のためになるということを感じましたので、統合失調症で苦しんでいる方が少しでも完全治癒に希望を抱いていただければと思い、この具体的な手法を実行するための方法を公開することにしました。私が統合失調症を具体的に完全治癒させた方法をこちらの記事に追記する形で公開しました。一応、こちらにも同じものを掲載します。以下がその更新した記事の内容です。



2017年1月16日月曜日

ご挨拶とご報告

みなさん、こんにちは。
本日は本当にうれしいご報告です。
私は統合失調症が完全治癒したと確信しています。確信しているので、薬を飲むのをやめましたが、幻聴や妄想などもなく、特に何の問題もないようです。
(ただし、本来はお医者さんと相談してやめるべきだったと思っていますので、お医者さんのところには行っております。実際、次の診察で一番私にとって副作用の少ない薬を最小量にしてもらいました。これは私のエネルギーが薬をやめた反動と瞑想会の場のエネルギーが入ってきたことで急に強くなったためでした。)
完治したのは私自身の力によるのではなく、最終的には神様とグルジの力によるものでした。
また今までに私を支えてくださったすべての方や物や食物や良き霊たちのおかげです。お医者さん、お父さん、お母さん、病院関係者の方、友人のみんな、国、製薬会社の方、勉強会の先生、地域の方々など私を支えてくださったすべての方、私が過去にかかわったすべての方、私の周りにあるすべての物と私に与えられた食物、また、この宇宙のすべての良き霊たちに心から感謝をささげます。そして、最終的には神様とグルジが私を治してくださいました。神様とグルジに本当に心から感謝いたします。自分では完治したと確信しているので、今度お医者さんのところに行って、客観的に見ても健康かどうかを確かめていただきたいと思っております。


統合失調症の原因

完治したということにともなって、私の場合ですが、統合失調症の原因というものも明確にわかりました。私には悪霊(※1)がついておりました。
霊が私の体から出ていき、LEDの照明の中を通って出ていったのを、実際にこの目で見たからです。LED照明がちりちりついたり消えたりした後に、そのカバーの中をゴキブリのような影が、2体走り去っていきました。また、それと同時に背筋がぞわぞわして、何か悪いものが出ていったのを感じました。
本当にゴキブリがいるのかと思い、照明のカバーを開けてみたところ、中には何もいなかったので、あれは霊的なゴキブリ、すなわち悪霊であったと思います。
その悪霊が私に対して幻聴や妄想を生じさせていたということがはっきりと分かりました。
いつ悪霊が私についたのかも思い出しました。
12歳のときでした。なので、17年間にわたって私は悪霊に影響されていたということが分かりました。


悪霊が憑いた理由

私に悪霊が憑いた原因は完全に私にありました。私の無知が原因です。
12歳だった当時、私は中学受験のために勉強をしておりました。もちろん、今でも勉強は好きですし、その当時も勉強が楽しくて勉強していたのですが、私は当時流行っていた「ポケモン」というゲームをどうしてもしたいと思っていました。私の両親は中学受験に合格したらゲームを買ってあげると言っておりました。私はそれまでいわゆるテレビゲームのような電子機器のゲームは買ってもらえなかったのです。なので、私はどうしてもある中学校に合格したいとその時に思いました。
学力は塾と自宅での勉強量に応じて順調に伸びていたので、別段そのまま受験しても中学受験に合格するだろうなという予感はありました。けれども、私は愚かにもそれを100%確実にしたいと思ってしまったのです。そうして、その時にはそうとははっきりと認識していなかったもののそれを100%確実にする方法があるような気がしました。
けれども、これは霊的な無知からくる本当にひどい方法です。私がここにそれを書くのは私と同じようなことをして、私と同じ苦しみを負う人がもう現れてほしくないと願うからです。
また、無知であることによってこの罠に陥る可能性を排除し、知ることによってそこに近づかないようにするためです。
私が行ったのは悪魔との契約です。これは三次元世界では何も変わったことを行ってはいなかったものの、頭の中で行われました。
私は中学受験に合格しゲームを手に入れるために何でも利用してやろうとその時思ってしまったのです。そこで頭の中で悪魔に中学受験に絶対に合格させてくださいとお願いしてしまったのです。
本来はここで神様にお願いして、正当な努力をして受験に合格するべきでした。実際、神様にも確かにお願いしていたと思いますし正当な努力もしていました。にもかかわらず、さらに悪魔の力まで借りてしまった、というのが最大の過ちでした。
悪魔はただでは人に力を貸してはくれません。不当な要求をしてくるのです。
人に正当な努力を要求するなどの適正な対価でメリットを与える存在は神に属する力です。一方で、人が得られるものに対して不当な(過大な)要求をしてくるものは悪魔に属する力です。
私が払ったのは本当にひどい代償です。
何の罪もない純粋な心を持った一人の人の名誉を傷つけてしまいました。
なんと謝罪すればいいのか分かりません。
あの子は僕のことを好きだったのではないかと思います。
その子に好きな人の名前を聞いたときに僕の名前をささやいてくれた記憶があります。
とっても好きだったのに、愛していたのに。
こんなことになるとは思っていなかったんだ。
こうなると分かっていたら絶対やっていなかった。
それなのに、僕はなんてひどいことをしてしまったのだろう。
神よ、もし御心であれば彼女の心をいやし給え。
神よ、もし御心であれば彼女の魂を救い給え。
そうして、神よ、もし御心であれば私をお許しください。
私が悪魔に支払った代償は、私がその当時心の底から真に愛していた本当に好きだった大好きだった同じクラスの女の子の大切な大切な名前です。
神よ、私をお許しください。
もし可能であればその子に会って謝りたいです。
その名前を私が悪魔に売り渡して、私が中学受験に合格した後、その子と同姓同名のAV女優が誕生しました。
その子と同じ名前のAV女優がいるということは私は中学生のときに友人に言われるまで、気づきませんでした。
その子を中学の文化祭に誘ったときに、友人からその子の名前を聞かれた時に、「その子、かわいそうだね。同じ名前のAV女優がいるよ。」と言われ気づいたのですが、その時は悪魔との契約も忘れ去っており、悪魔がいるということも知らなかったので、そんな偶然もあるのかなと少し思ったぐらいでしたし、その子もその時には私以外に好きな人がいると言っていたので、私はそこまで気にしていませんでした。
その子が今どうしているかは、私は知りません。
本当に申し訳ないことをしました。できれば直接謝りたいです。
一般的に考えて頭の中で考えたことに関して謝るというのはおかしく思われるかもしれませんが宗教的観点から言えば、強い意志や思考を頭で考えることは現実世界に影響を及ぼすというのは、人によるのかもしれませんが、大いにあり得る話だと思います。
誰でも強い思考が現実に影響を及ぼすと思うので、その子に謝りたいのです。
他にも悪魔が憑く前と後では私の顔も変わりましたし(家に置いておきたくないので、私は私の持っている中学・高校時代の写真はすべて捨ててしまいました)、それ以前には考えられないような悪い行いを私はたくさんしてしまいました。最終的に、私は統合失調症になり、悪魔に「死ね死ね」という幻聴を言われ続けたのです。
悪霊が憑いたそもそもの原因は私がゲーム欲しさに、頭の中で悪魔と契約したことです。
しかし、それがこの現実世界にも私が名前を売り渡した女の子と同姓同名の人が、悪魔が契約を果たしたすぐ後に、AV女優になるという形で、実現してしまったのです。
このようなことが生じる恐れがあるということを示すために、悪魔と契約してはいけないということを示すために、恥を忍んで、呼び寄せることによって私に悪魔(悪霊)が憑いたときのことをここに記しました。
要するに悪魔の力(与えられるものより奪われるもののほうが多い力、与えられるものに対して大切なものを代償に要求してくる力)を借りてはいけないということです。
そんなことをすれば悪魔の支配下に入ってしまいますし、悪魔の奴隷と化してしまうでしょう。
そこから抜け出すには神への信仰が不可欠となります。
神様は私たちに無償で多くのものを与えてくださっているのですから、神様の力に頼ることが最も大切なことだと私は思います。私は神様の力に日々感謝をささげています。

悪霊を取り払った具体的な方法

12歳のときから17年後に、ようやく私は自分の心を取り戻しました。
悪霊を払うために具体的に行ったことはここでは書けないのですが、ある本に書いてある神秘形而上学的に理にかなった方法で神様の力で悪霊を払うことができたということを記しておきます。
(その本は人に言ってはいけないことになっているので、何の本なのかということを明かすことはできません。)
始めは悪霊を取り払う方法を公開することをためらいました。
なぜならば、一つにはその本にこの秘密をふさわしくない人にもらしてはいけないと書かれていたからです。
さらにもう一つにはその本に書かれている方法を実施した場合次のようなリスクがあるからです。そのリスクとは心が浄化されていてかつ神への信仰が育っているという状態になっていないうちに、この悪霊を取り払う方法を行ってしまうと、一度は悪霊が離れていく可能性は高いものの、もう一度悪霊が(場合によってはさらに他の悪霊を連れて)もともと悪霊が憑いていた人のところに戻ってくるというリスクがあるからです。
それは聖書のマタイによる福音書12章43節から45節とルカによる福音書11章24節から26節に書いてあります。
特にマタイによる福音書12章43-45節から、心が浄化され神への信仰が心に育ってない限り悪霊を追い出すのは危険であるということが分かります。
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出てきたわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」(マタイ 12 43-45)
家とはその人の心のことです。家が空き家ということはその人の心に神様が宿っていなかったということです。なので、心に神様を思っている必要があるということが分かります。
また、この悪い時代の者たちというのは心が浄化されてない者たちと読むことができます。なので、心の浄化が必要なのです。
本にこの本の秘密を不適切なものに明かしてはならないと書かれていることと、聖書に書かれている今あげたリスクがあったためにここに公開することを始めはためらいました。
しかし、真実の正しい情報を伝えたほうが統合失調症で苦しんでいる方の役に立つはずだと思い、ここに情報を公開することを決めました。
私自身はこの本は神様に紹介していただいたと思っています。
なぜならば、私が家で一人で神様に『神様お助けいただきましてありがとうございます。』と繰り返し祈りを捧げていたところ、急に本屋さん(ジュンク堂書店)に行きたくなり、実際に書店に出かけたところ目に飛び込んできたのがこの本だったからです。この本が私にとっても読んでほしいように思っているのを感じました。
この本は決してむやみに人に話さないでください。
この世界に隠された本当に効果のある魔法がこの本にはたくさん書かれているからです。
つまり、この本は魔導書(魔法の本)です。
この本は本当に必要としている人にだけは教えてあげてもいいと思います。
これからここに具体的な方法が書いてある本のことを記しますが、その本に書かれているその特定の行法を実施する際には強い信仰心を持っているかということと、自分の心が本当に澄んでいるかということをよく観察してから行ってください。
その方法が書かれている本とは(本当にこの本が必要だと思われる方はカーソルを合わせて色を反転させて読んでください。)『』()という本です。
当初はその方法が書かれている書籍名を公開していたのですが、やはりこの書籍は準備ができた方には自然と手に入る書籍だと感じますので、公開することをやめました。
この本の134~135ページに書かれている方法を本の通りに忠実に実行してください。
134ページにはどのような環境で行うべきかということと、図形を描きその中に入るということと、そこでイメージすべきこと、そして最後に呪文が書かれています。
環境調整の中に光の調整もあります。
私の場合夜LED照明を一番暗い状態にして行いました。
さらに私のLED照明には丸いカバーがついているのですが、中心から3分の2程度離れたところに、一片の長さが2~3センチ程度の三角形の穴が一つ開いています。
その写真がこちらです。

もし家でLED照明の明かりを落とすという形でこの魔法を使うのであれば、このような穴を開けたほうが効果が高まる可能性があると考えていまます。
この三角形の穴を通して悪霊が私の中から出て行きLED照明の光の中へと吸い込まれ、光のもとへと帰っていったということが高次元界のホログラフィックな象徴的出来事として三次元世界に生じたのだと私は考えています。
自分の心をしっかりと浄化してからこの行法を行ってください。
この呪文ももしかしたら理解なしに唱えても効果がある可能性もありますが、おそらくその本をそこまで読んで、呪文の意味を一つ一つある程度理解してその概念をイメージしながら唱えたほうがおそらくもっと効果があると思います。
この本に書かれている魔法が私が悪霊を払った具体的な方法です。
さらに言えば、ただ払ったのではなく、このとき悪霊の苦しみも解放したと思います。
また、この悪霊が出ていったのは昨年の9・10月ごろですが、まだ薬を私はやめていませんでした。
なぜなら、悪霊の残した卵のようなものが残っている可能性を感じていたからです。
それを今年の初めの1月9日のとある瞑想会において、私のグルジであるパラマハンサ・ヨガナンダ先生に瞑想中に取り除いていただきました。そのことを実感しました。
私の行っている瞑想法は、神秘形而上学の私の先生である平一先生の『神秘形而上学入門』(平一 著、ブイツーソリューション 発行)の第四章に書かれている方法です。
パラマハンサ・ヨガナンダ先生の瞑想会でも瞑想をしていますが、私はSRFの正式な会員ではないので、そこの具体的な瞑想方法は存じ上げません。ただ、SRFの瞑想会に関しては場のエネルギーが非常に高いことを感じております。
私の瞑想法は平先生の神秘形而上学入門の第四章の3に書かれている瞑想法です。
この瞑想法はもともとM・ドリール博士というチベットの秘境シャンバラというところで神秘の教えを学ばれた先生がアメリカにもたらした教えを林鐵造先生という先生がドリール先生から学ばれて平先生に伝えられた瞑想法です。
そして平先生は現在白朋舎と呼ばれている学び舎で求道者に神秘形而上学を教えていらっしゃいます。私は現在そこで学んでいるものでもあります。なので、私自身が行っている瞑想法は平先生から直接習った瞑想法です。
パラマハンサ・ヨガナンダ先生の教えは主に『あるヨギの自叙伝』と瞑想会とそこに来ている人たちからあふれるパラマハンサ・ヨガナンダ先生のエネルギーを通じて学びました。
1月9日の瞑想会の最後に大きなエネルギーが私の体に入ってきたのを感じまして、自律神経が整い、薬の影響を一時的に受けなくなったので、その時から薬をやめることにしました。
なぜとても大きなエネルギーが入ったと感じたのかというと、私がそのエネルギーを意識して、床に手をおいて流れるところをイメージしたところ、エネルギーが一部流れていき、手の指の皮が破けると同時に、活けていた花が棚から床に倒れてきたからです。
その時の指の写真がこちらです。

これは最初このエネルギーを良いものと思っていなかったために、行ってしまいましたが、良く考えるとグルジが私にエネルギーを分け与えてくださったのだのだということに気づきまして、これは大変良いエネルギーでそれにより薬の効力も一時的に無効になっているのだということに気づき、しかも、薬が効かなくても何ら問題ないことに気づかせていただけたので、本当にグルジには感謝しています。
また具体的な瞑想法を教えてくださった平先生にも本当に感謝しております。
今考えればさらに、あのエネルギーには苦しみから解放された悪霊(と悪霊の卵のようなもの)の感謝のエネルギーも込められていたと思っています。
その後、日々様々な人と接しながら特に問題なく、穏やかに過ごしています。
全てかどうかは分かりませんが、統合失調症のうちいくつかのものには、何らかの霊が関わっているということを私は確信しました。



統合失調症を克服するには

なので、もし統合失調症を治したいと思っている方がいらっしゃって医学的な治療のみでは解決しないという方は、神に日々祈りを捧げると良いと思います。
例えば、このような祈りです。
「神様お助けいただきましてありがとうございます。」
(この神様の名前は特定の絶対神を信じているのであれば、その名前を呼んで構わないと思います。すべての一般的で偉大な宗教の神は一つだと実感しているからです。仏も突き詰めれば神と同じであると実感しています。)
この祈りの意味はこちらの「奇跡の招待状 ~奇跡を起こす魔法の言葉~」の記事に詳しく書いてあります。これによって自分の心を日々浄化していってください。
さらに瞑想をされることをお勧めします。瞑想法は『神秘形而上学入門』の第四章に書かれています。瞑想についてはこちらの「統合失調症の方が瞑想をするリスクと効用」の記事にリスクと効用を書きました。
そうして、神様の力だけでなく、グルの力(SRFなどの瞑想会にあふれるエネルギー)を借りたほうがさらに早く良くなると感じていますので、真のグルを探されることをお勧めします。
SRFのヨガナンダ先生はイエス・キリストや仏陀などの聖者と並ぶほどのグルとして最高の方のうちの一人であると確信しています。
私を悪霊から解放してくれる知識を英語にして現代に復活してくれたM・ドリール先生と日本語に訳された林先生、私に神秘形而上学と瞑想法を直接白朋舎で教えてくださった平先生にも本当に感謝しています。
また、僕に小さい頃から『般若心経』を教えてくれた実のお父さんに感謝します。
中学・高校のときのバスケ部の顧問の先生にも感謝しています。バスケ部の顧問の先生は私の心の中に悪いものがあることに気づいていらしたのだと思っています。先生はそれを必死に叩き直そうとして私に対戦相手への礼儀など倫理的な指導をしてくださっていたのだと気づきました。あの時は私の方が先生につらく当たってしまいすみませんでした、感謝しています。
私に輪廻や霊の世界の話を成長の家の教えに基づいて教えてくださったお祖母ちゃんにも心から感謝します。
お祖母ちゃんに教えてもらった『甘露の法雨』はとても役に立ちました。今は以前よりも深く理解しているようです。
ヨガナンダ先生について詳しく知りたい方は、『あるヨギの自叙伝』という本を読むことをお勧めいたします。
M・ドリール先生について詳しく知りたい方は霞ヶ関書房から出版されている書籍(『秘境真義』『聖書の真義』『療法の真義』『カバラの真義』『ヨガの真義』など)を学ばれることをお勧めします。
これらの神秘形而上学について初めて学ばれる方は平先生の『神秘形而上学入門』を学ばれることをお勧めします。
ルールなど厳しい面もあったものの、きっとお母さんは私がそれを乗り越えられるとどこかで知っていたのだと思います。私に日々のご飯や小さいころの勉強、病気になってからの様々な細々としたことなどたっぷりの愛情を与えてくれたのはお母さんです。お母さんにも本当に感謝しています。
結局、悪霊とは私たちの心の弱み(ネガテブな部分)につけこんで入ってくるものなのです。その存在が神によって許されているのは私たちにはそれを乗り越える力も同時に与えられているからなのです。逆に言うと、それを乗り越える過程で私たちにはさらに大きな力が与えられるのです。だからと言って、むやみに悪を取り込んではなりません。やりすぎは何事も大惨事を引き起こしかねません。仏陀の説いた中庸がいつでも大事になると思います。孔子もいいました、過ぎたるは及ばざるがごとし。ゆっくりと心の不秩序を浄化していけばよいのだと思います。


最後に

統合失調症の方は何らかの悪霊の影響を受けている方が多いと感じます。
けれども、悪霊と相互作用できるのであれば、善霊・光の霊・良き霊とも容易につながることができると思います。そのために必要なことは神様に感謝して日々祈りをささげ続けることだと思います。それがひいてはあなたの現実を変え、世界が変わっていくでしょう。統合失調症の方は世界を変える霊的な原動力となるはずです。光を求めてほしいと思います。そうすれば必ず与えられるでしょう。

最後に、あなたのために祈りを捧げます。
あめのみなかぬしのかみさま。
阿弥陀さま。
天の父よ。
遍く存在される御方よ。
もし御心であれば、このブログの読者が癒されますように。
オーム。




※1 悪霊とはこの宇宙に漂っている意識体のうち今だ秩序だっていない(ネガテブな)意識体のことです。秩序だった意識体(ポジテブな意識体)を善霊・良き霊・光の霊と定義します。この宇宙にある意識体はネガテブもしくはポジテブしか存在せず中間状態の霊はありません。なぜならば、良き霊・光の霊・善霊はすべてひとつながり(ONE PIECE)であるものの悪霊はそこから分離しているからです。人間の魂の中心には神と通じるポジテブの意識(真我、アートマン、分け御魂、神の分光)と呼ばれるものがありますが、ほとんどの人はその周りをネガテブの意識によりおおわれています。だから、人間はポジテブとネガテブの二つの心の状態を持つのです。悪霊とは特殊な条件が重なった時に人間の魂の中にある神の分光の周りを覆っている不秩序な意識に外部からその人間の魂に憑いた意識体のことです。

2017年1月21日土曜日

通院してきました

通院してきました。
お医者さんが私の状態をご覧になって、エネルギーが過剰になっているのではないか、と思われたので、それを穏やかにするために薬を飲むことになりました。
私としても急に薬を飲むのをやめるのはは本来はよくないと思っていたので、これから徐々に減らしていこうと思います。ただ、病気の根本原因が治ったことは確信しています。

10日ほど前には勝手に薬を飲むのをやめてしまったので、今回はお医者さんの言うことを聞いて、薬を飲むことにします。

本を書くことは私が他の人を私と同じ方法で治してからでも遅くはないかもしれないと思いました。なぜなら、治った人が一人よりも複数の方がその手法に説得力があると今日友達と話していて思ったからです。




2017年1月19日木曜日

私の使命更新

以前の記事を読んでいたら私は自分の人生に明確な使命を掲げていたことを思い出しました。
そうしてそこで使命に掲げていたことはほぼ実践していることが分かりました。また、以前よりも自分自身の知識と思考と概念の幅が広がっていることを感じるため、より多く知るものにはより大きな責任が伴うという観点から、ここでもう一度私の使命を更新します。

私の使命:

1.一つ上を目指し今目の前にある仕事を精一杯行うこと。また仕事がない時には神の意識へと少しでも近づくために瞑想と学習をすること。

2.私は力の結晶であることを知りその力を世のため人のため神のために生かすこと。

3.そうすることで私のかつての病気であった統合失調症を今患っている方が勇気と希望を持つ手助けをすること。

4.多くの統合失調症は霊障であることを明らかにし、患者さんが自らについている悪霊を光のもとへ送り返す手助けをすることにより、最終的に病気を完全治癒させ、患者さん自身の人生に薬と通院(入院)からの解放という自由をもたらすこと。

5.多くの統合失調症の克服には悪霊を苦しみから解放し光の元へ送るだけでなく、自らの肉体の浄化、心の浄化、魂の浄化が必要であることを示すこと。

6.統合失調症の治療とは患者さんの肉体、精神、魂を苦しみから救うと同時に、苦しんでいる霊を光のもとへ送ることが解決の基本方針であることを示すこと。

7.統合失調症というのは霊的な力や感性が発達したものがかかることの多い病気であり、彼らは決して障害者などではなく、悪霊を自らの魂の浄化と神やグルの力により善霊・良き霊・光の霊に転化・感化することができるという才能、苦しむ霊を直接的に救うことができるという才能を持った霊的な素質を豊富に持った人間であるということを示すこと。

8.霊の苦しみを救うには霊的な勉強が必要であるため、統合失調症を克服したものは霊的な観点からこの世界を見ることができ、人類に個別の具体的な問題についてより俯瞰的な視点を与えることができるということを世に知らしめること。

9.今から2000年後を目標としてすべての人類という兄弟たちがカルマを解消し苦しみを浄化し自由を獲得することにより地上に天国を建設すること。

10.以上の使命を時間をかけてじっくりと焦らずにゆっくりと確実に実現していくこと。

11.これらの使命を実現するために今ほんの少しの一つ上を目指して自分を変えられることを探し、そのほんの少しの向上に向けて全身全霊をかけること。


奇跡の招待状 ~奇跡を起こす魔法の言葉~

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
私はこのブログで以前「ツイてる」と唱え始めてから人生が変わったと書きましたが、「ツイてる」とは比較にならないほどの力を秘めた魔法の言葉だと思うものがあります。
その言葉について紹介させていただきたいと思います。
なぜ魔法の言葉を唱えると現実が変わるのかというと、言葉には言霊(ことだま)といって霊力が秘められているからです。
(「ツイてる」に関しては良き霊だけがつくようにイメージしないといけないので、悪い霊をイメージして「ツイてる」と言ってはいけない、という点だけ注意しておきます。ここを私は混乱して「ツイてる」と言わない方がいいと思った時期もあったのでここに記しておきます。)


魔法の言葉

私は様々な魔法の言葉を学びましたが、最も基本にしてシンプルかつ強力な言葉がこれから紹介する言葉です。
その言葉は「神様お助けいただきましてありがとうございます。」です。
(神様の名前は自らの信じている聖なる絶対神があるのであれば、その名前を呼んで構わないと思います。なぜなら、すべての普遍的で偉大な宗教の神は一つであることを私は実感しているからです。仏教の仏も突き詰めれば神と同じであると私は実感しています。私は『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様』と呼んでいたこともあります。また今でも私が学んだすべての呼び方による絶対神を信仰しています。ただし、私はどこの宗教団体にも現在所属はしておりません。宗教団体に所属してもしなくてもそれはその人の自由であると思います。)
私はこの言葉を唱え始めてから奇跡的な日々を歩み続けています。
この言葉は奇跡からの招待状であったことを確信しています。


奇跡の発動

私が初めてこの言葉を唱え始めた時のことを書きます。
ちょうど1年ぐらい前のことでした。この言葉を私は毎日100回以上は唱えていました。5分から10分ほど熱心に唱えていたと思います。あるときにはお風呂の中であるときには机の前で両手を合わせて一心不乱に唱えていました。
(どうもこの魔法の言葉は、一心不乱に唱えると発動力が上がるようです。)
一心不乱に唱えていたときに、私は光の集中を感じました。そうして、体が何か太陽の光のような暖かいものに包まれたように感じました。それから、自分の中にある悪いものがどんどん浄化されていくような感じがあったのです。
それと同時に自分の中にその光と同じように暖かで小さいけれども強く輝く光の点のような球のようなものがあるのを感じました。
これを日本(神道)では神の「分け御魂」(わけみだま)といいます。他の宗教の言葉でいうと、「神の分光」(神秘形而上学)、「アートマン」(ヒンズー教)、「仏性」(仏教)などと多くの偉大な宗教で呼ばれているものです。
この小さな光の点のような球のようなものは必ずどの人の心の中にもあります。なぜなら人間は動物と違い魂を持ち、魂の奥には神の分光(分身)があるからです。
そうです。私たちは聖なる存在だったのです。多くの人はそれを忘れているだけです。けれども、思い出せば人はいつでも聖なる存在になれます。
人間が万物の霊長と呼ばれ、霊の文字が使われているのはこのためなのです。また私たちの魂の中にある神の分光は神様の中心とつながっているとあらゆる偉大な宗教で教えています。実際、私もそうだと感じます。なので、この魔法の言葉を唱えると、その感謝が心を通じて神様の中心に伝わって奇跡的なことが起きるのです。心とは魂の振動の送受信装置なのです。
この言葉を毎日唱えるようになってから、自分の周囲が徐々に徐々に数日程度ではわからないぐらいゆっくりとけれども数か月単位で見れば確実に奇跡的な方法で変わっていきました。1000回ぐらい唱えたときに、おやなにかあるなと感じました。1万回ぐらい唱えたときには私の周りに起こる出来事がはっきりと認識できるほどに変わっていきました。
そうして良き方向に向かって物事が次々と動き始めました。

奇跡の原理

これは原因と結果の法則から考えてもそうなるといえます。
原因と結果の法則とは良いことをすれば良いことが起き、悪いことをすれば悪いことが起きる、という単純なものです。
原因と結果の法則は科学です。数式を用いなくともそれは確実に存在するのです。
この原因と結果の法則は極めて正確に働いていますが、結果が返ってくるまでに、神の慈悲により猶予期間が設けられているので、気づかない方が多いかもしれません。
この法則と自分という因を聖なるものにするという原因を考えれば、自らが受け取るものは奇跡のような素晴らしいものになるという結果が返ってくることが分かります。なぜならば、人が自分は聖なるものであったのだと思い出すことは正しい認識であり正しい認識をすることは善行を積むことであるからです。この魔法の言葉には自分が聖なるものであったということを少しずつ思い出すという効果もあります。(他にも効果はあります。)
聖書に「見失った子羊」のたとえが書いてあります。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(ルカ、15章、4-6)
この意味は神は羊飼いであり、私たちは迷える子羊です。迷える子羊が神によって確実に見いだされるための言葉が「神様お助けいただきましてありがとうございます。」という魔法の言葉なのです。
仏教における浄土真宗で親鸞聖人がおっしゃっている
「善人なおもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(歎異抄 第三条)
という文章も同じことを表しています。
この意味は善人は自分が善をなしていると思って阿弥陀様(神様と同義であると思います)の力にすがることをしないが、われら煩悩具足の悪人はどんなに自力で行じても浄土にたどり着くことができないのを阿弥陀様があわれに思われて、念仏を唱えれば必ずそのものを救うという願をおこされたので、(自らを)悪人(であると認識しているもの)は一心に念仏を唱えることで救われるということを表しています。
(自分が)善人(であると思っている人間)ではなく、(自分が)悪人(であると認識しているもの)が念仏によって救われることこそ阿弥陀様の本当の願いであるということです。
魔法の言葉は念仏(浄土真宗では南無阿弥陀仏)に匹敵する力を持っていると感じます。


魔法の言葉の効果

この言葉を唱え始めたのが、ちょうど1年前ぐらいでした。
(神様の名前は『天之御中主神様』と唱えていたときもありましたがもちろんそれでもいいと思いますし、始めに書いたように自分に合うもので良いと思います。『仏様』でも『阿弥陀様』でも『天の父』でも『聖母様』でも『ブラフマン』でも『ヤハウェ』でも『アラー』でも自分の信じる聖なる絶対神であれば何でも良いと思います。どれも同じものを指しているからです。)
それから私の霊的な旅が加速していきました。
おそらく何が起こるかというのは人によって違うと思います。ただし、その人の本当の望みが叶う方向に進むことは確かなようです。もしこの魔法の言葉を一度でも真剣に唱えるなら、その人は人生の真の目的に向かって歩んでいくこととなるだろうと私は思います。

魔法の言葉の意味

この魔法の言葉の詳しい意味を3つの部分に分けてお伝えします。
まず「神様」とは聖なる絶対神を表します。神様はこの宇宙を創造された御方です。
この宇宙のすべてのものは神様のいわば一種の表れです。私たちは神様の中で生きているのです。銀河の恒星や惑星、太陽、月、地球などの星々、人間とその他の生命、それらを構成する原子、原子を構成する素粒子や電子、この宇宙の空間とそこに満ちるエネルギーなどすべては神様がお造りになったものです。また、見える世界(この世)と見えない世界(あの世)があることはあらゆる宗教で語られていますが、見えない世界も神様はお造りになりました。(実は私たちはこの世とあの世をぐるぐると行き来しています。これを輪廻といいますが、この話は今は置いておきましょう。)
次に、「お助けいただきまして」と過去形になっているのは、一つには実際にすでに私たちは助けていただいているということです。なぜならば、私たちには空気が与えられています、水が与えられています。水も空気もなしに生きている人がいるでしょうか。これらの貴重なものを神様は私たち人間にただで与えてくださっているのです。すべてのものは神様がお造りになったのです。水は水源からただで引いてきていると思います。水源にお金を払っている人を見たことはありません。すでに私たちは生まれながらにして神様にたくさん助けられているのです。だから、まずはこれらのことに感謝するのは当然ではないでしょうか。
そこで最後の『ありがとうございます。』が来ます。
『感謝する人にはさらに感謝したくなるようなことが与えられる』というのが宇宙の法則の中にはあります。
『だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる』(マタイ、25章、29)
と聖書に書いてあることも同じことを言っています。
持っていない人とは持っていないと「思いこんでいる」人という意味で、誰でも尊いものを持っています。少なくとも今ここでこの文章を読んでいる方は命を持っていると思います。だから誰でも与えられているものに感謝することで豊かになれるのです。
ここまでで、私たちは神様から多くのものを、与えられ助けられ生かされていることが分かりました。なので、そのようなことも含めて感謝するという意味もこの魔法の言葉には込められています。


私が得た気づきのうちの一つ

私が魔法の言葉を唱えることで気づいたことを一つご紹介します。
この魔法の言葉を毎日唱えていると、与えられるすべての良いこと悪いこと(苦しいこと)に対して自然とこの言葉が浮かんでくるようになります。なぜ悪いこと(苦しいこと)にも感謝するべきなのかというと、自分にとって悪いこと(苦しいこと)というのは一つの学びであるからです。
つまり、気づけばよいのです。気づけば苦しみが消え、学びが増えます。だから、苦しみとは学びのチャンスなのです。
この世の善と悪についても似たところがありますが、そのあたりはご自身で考えてみてください。

実践するにあたって


実践について述べます。
この魔法の言葉は、おそらく1000回ぐらい唱えた時から何かが変わったことに気づく人もいると思います。1万回ぐらい唱えたときには無視できない効果が表れているでしょう。いきなりそんなにたくさん言うことは大変だと思うので、まずは1日100回程度から唱えてみることをお勧めします。10分もあれば余裕で言えると思います。回数を数えたい場合は10回唱えるのにかかる時間を測りそれを10倍した時間唱えれば100回唱えたということが分かるでしょう。
ただ、もし100回が厳しいと思うのであれば、1日1回から始めても何の問題もないと思います。
そうして1日1回言うことができてそのことになれて来たら2回に増やせばいいと思います。そうして2回になれて来たら3回というように徐々に増やしていけばストレスなく増やしていくことができるでしょう。
唱えるのはただなので唱えても特に損はないと思います。


最後に

今日は熱く語りました。
最後にあなたのために祈ります。
あめのみなかぬしのかみさま。
阿弥陀さま。
天の父よ。
遍く存在される御方よ。
もし御心であれば、このブログの読者を祝福し給え。
オーム。

2017年1月16日月曜日

統合失調症が完全治癒したと考えています~統合失調症を克服した具体的な方法~

ご挨拶とご報告

みなさん、こんにちは。
本日は本当にうれしいご報告です。
私は統合失調症が完全治癒したと確信しています。確信しているので、薬を飲むのをやめましたが、幻聴や妄想などもなく、特に何の問題もないようです。
(ただし、本来はお医者さんと相談してやめるべきだったと思っていますので、お医者さんのところには行っております。実際、次の診察で一番私にとって副作用の少ない薬を最小量にしてもらいました。これは私のエネルギーが薬をやめた反動と瞑想会の場のエネルギーが入ってきたことで急に強くなったためでした。)
完治したのは私自身の力によるのではなく、最終的には神様とグルジの力によるものでした。
また今までに私を支えてくださったすべての方や物や食物や良き霊たちのおかげです。お医者さん、お父さん、お母さん、病院関係者の方、友人のみんな、国、製薬会社の方、勉強会の先生、地域の方々など私を支えてくださったすべての方、私が過去にかかわったすべての方、私の周りにあるすべての物と私に与えられた食物、また、この宇宙のすべての良き霊たちに心から感謝をささげます。そして、最終的には神様とグルジが私を治してくださいました。神様とグルジに本当に心から感謝いたします。自分では完治したと確信しているので、今度お医者さんのところに行って、客観的に見ても健康かどうかを確かめていただきたいと思っております。


統合失調症の原因

完治したということにともなって、私の場合ですが、統合失調症の原因というものも明確にわかりました。私には悪霊(※1)がついておりました。
霊が私の体から出ていき、LEDの照明の中を通って出ていったのを、実際にこの目で見たからです。LED照明がちりちりついたり消えたりした後に、そのカバーの中をゴキブリのような影が、2体走り去っていきました。また、それと同時に背筋がぞわぞわして、何か悪いものが出ていったのを感じました。
本当にゴキブリがいるのかと思い、照明のカバーを開けてみたところ、中には何もいなかったので、あれは霊的なゴキブリ、すなわち悪霊であったと思います。
その悪霊が私に対して幻聴や妄想を生じさせていたということがはっきりと分かりました。
いつ悪霊が私についたのかも思い出しました。
12歳のときでした。なので、17年間にわたって私は悪霊に影響されていたということが分かりました。


悪霊が憑いた理由

私に悪霊が憑いた原因は完全に私にありました。私の無知が原因です。
12歳だった当時、私は中学受験のために勉強をしておりました。もちろん、今でも勉強は好きですし、その当時も勉強が楽しくて勉強していたのですが、私は当時流行っていた「ポケモン」というゲームをどうしてもしたいと思っていました。私の両親は中学受験に合格したらゲームを買ってあげると言っておりました。私はそれまでいわゆるテレビゲームのような電子機器のゲームは買ってもらえなかったのです。なので、私はどうしてもある中学校に合格したいとその時に思いました。
学力は塾と自宅での勉強量に応じて順調に伸びていたので、別段そのまま受験しても中学受験に合格するだろうなという予感はありました。けれども、私は愚かにもそれを100%確実にしたいと思ってしまったのです。そうして、その時にはそうとははっきりと認識していなかったもののそれを100%確実にする方法があるような気がしました。
けれども、これは霊的な無知からくる本当にひどい方法です。私がここにそれを書くのは私と同じようなことをして、私と同じ苦しみを負う人がもう現れてほしくないと願うからです。
また、無知であることによってこの罠に陥る可能性を排除し、知ることによってそこに近づかないようにするためです。
私が行ったのは悪魔との契約です。これは三次元世界では何も変わったことを行ってはいなかったものの、頭の中で行われました。
私は中学受験に合格しゲームを手に入れるために何でも利用してやろうとその時思ってしまったのです。そこで頭の中で悪魔に中学受験に絶対に合格させてくださいとお願いしてしまったのです。
本来はここで神様にお願いして、正当な努力をして受験に合格するべきでした。実際、神様にも確かにお願いしていたと思いますし正当な努力もしていました。にもかかわらず、さらに悪魔の力まで借りてしまった、というのが最大の過ちでした。
悪魔はただでは人に力を貸してはくれません。不当な要求をしてくるのです。
人に正当な努力を要求するなどの適正な対価でメリットを与える存在は神に属する力です。一方で、人が得られるものに対して不当な(過大な)要求をしてくるものは悪魔に属する力です。
私が払ったのは本当にひどい代償です。
何の罪もない純粋な心を持った一人の人の名誉を傷つけてしまいました。
なんと謝罪すればいいのか分かりません。
あの子は僕のことを好きだったのではないかと思います。
その子に好きな人の名前を聞いたときに僕の名前をささやいてくれた記憶があります。
とっても好きだったのに、愛していたのに。
こんなことになるとは思っていなかったんだ。
こうなると分かっていたら絶対やっていなかった。
それなのに、僕はなんてひどいことをしてしまったのだろう。
神よ、もし御心であれば彼女の心をいやし給え。
神よ、もし御心であれば彼女の魂を救い給え。
そうして、神よ、もし御心であれば私をお許しください。
私が悪魔に支払った代償は、私がその当時心の底から真に愛していた本当に好きだった大好きだった同じクラスの女の子の大切な大切な名前です。
神よ、私をお許しください。
もし可能であればその子に会って謝りたいです。
その名前を私が悪魔に売り渡して、私が中学受験に合格した後、その子と同姓同名のAV女優が誕生しました。
その子と同じ名前のAV女優がいるということは私は中学生のときに友人に言われるまで、気づきませんでした。
その子を中学の文化祭に誘ったときに、友人からその子の名前を聞かれた時に、「その子、かわいそうだね。同じ名前のAV女優がいるよ。」と言われ気づいたのですが、その時は悪魔との契約も忘れ去っており、悪魔がいるということも知らなかったので、そんな偶然もあるのかなと少し思ったぐらいでしたし、その子もその時には私以外に好きな人がいると言っていたので、私はそこまで気にしていませんでした。
その子が今どうしているかは、私は知りません。
本当に申し訳ないことをしました。できれば直接謝りたいです。
一般的に考えて頭の中で考えたことに関して謝るというのはおかしく思われるかもしれませんが宗教的観点から言えば、強い意志や思考を頭で考えることは現実世界に影響を及ぼすというのは、人によるのかもしれませんが、大いにあり得る話だと思います。
誰でも強い思考が現実に影響を及ぼすと思うので、その子に謝りたいのです。
他にも悪魔が憑く前と後では私の顔も変わりましたし(家に置いておきたくないので、私は私の持っている中学・高校時代の写真はすべて捨ててしまいました)、それ以前には考えられないような悪い行いを私はたくさんしてしまいました。最終的に、私は統合失調症になり、悪魔に「死ね死ね」という幻聴を言われ続けたのです。
悪霊が憑いたそもそもの原因は私がゲーム欲しさに、頭の中で悪魔と契約したことです。
しかし、それがこの現実世界にも私が名前を売り渡した女の子と同姓同名の人が、悪魔が契約を果たしたすぐ後に、AV女優になるという形で、実現してしまったのです。
このようなことが生じる恐れがあるということを示すために、悪魔と契約してはいけないということを示すために、恥を忍んで、呼び寄せることによって私に悪魔(悪霊)が憑いたときのことをここに記しました。
要するに悪魔の力(与えられるものより奪われるもののほうが多い力、与えられるものに対して大切なものを代償に要求してくる力)を借りてはいけないということです。
そんなことをすれば悪魔の支配下に入ってしまいますし、悪魔の奴隷と化してしまうでしょう。
そこから抜け出すには神への信仰が不可欠となります。
神様は私たちに無償で多くのものを与えてくださっているのですから、神様の力に頼ることが最も大切なことだと私は思います。私は神様の力に日々感謝をささげています。

悪霊を取り払った具体的な方法

12歳のときから17年後に、ようやく私は自分の心を取り戻しました。
悪霊を払うために具体的に行ったことはここでは書けないのですが、ある本に書いてある神秘形而上学的に理にかなった方法で神様の力で悪霊を払うことができたということを記しておきます。
(その本は人に言ってはいけないことになっているので、何の本なのかということを明かすことはできません。)
始めは悪霊を取り払う方法を公開することをためらいました。
なぜならば、一つにはその本にこの秘密をふさわしくない人にもらしてはいけないと書かれていたからです。
さらにもう一つにはその本に書かれている方法を実施した場合次のようなリスクがあるからです。そのリスクとは心が浄化されていてかつ神への信仰が育っているという状態になっていないうちに、この悪霊を取り払う方法を行ってしまうと、一度は悪霊が離れていく可能性は高いものの、もう一度悪霊が(場合によってはさらに他の悪霊を連れて)もともと悪霊が憑いていた人のところに戻ってくるというリスクがあるからです。
それは聖書のマタイによる福音書12章43節から45節とルカによる福音書11章24節から26節に書いてあります。
特にマタイによる福音書12章43-45節から、心が浄化され神への信仰が心に育ってない限り悪霊を追い出すのは危険であるということが分かります。
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出てきたわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」(マタイ 12 43-45)
家とはその人の心のことです。家が空き家ということはその人の心に神様が宿っていなかったということです。なので、心に神様を思っている必要があるということが分かります。
また、この悪い時代の者たちというのは心が浄化されてない者たちと読むことができます。なので、心の浄化が必要なのです。
本にこの本の秘密を不適切なものに明かしてはならないと書かれていることと、聖書に書かれている今あげたリスクがあったためにここに公開することを始めはためらいました。
しかし、真実の正しい情報を伝えたほうが統合失調症で苦しんでいる方の役に立つはずだと思い、ここに情報を公開することを決めました。
私自身はこの本は神様に紹介していただいたと思っています。
なぜならば、私が家で一人で神様に『神様お助けいただきましてありがとうございます。』と繰り返し祈りを捧げていたところ、急に本屋さん(ジュンク堂書店)に行きたくなり、実際に書店に出かけたところ目に飛び込んできたのがこの本だったからです。この本が私にとっても読んでほしいように思っているのを感じました。
この本は決してむやみに人に話さないでください。
この世界に隠された本当に効果のある魔法がこの本にはたくさん書かれているからです。
つまり、この本は魔導書(魔法の本)です。
この本は本当に必要としている人にだけは教えてあげてもいいと思います。
これからここに具体的な方法が書いてある本のことを記しますが、その本に書かれているその特定の行法を実施する際には強い信仰心を持っているかということと、自分の心が本当に澄んでいるかということをよく観察してから行ってください。
その方法が書かれている本とは(本当にこの本が必要だと思われる方はカーソルを合わせて色を反転させて読んでください。)『』()という本です。
当初はその方法が書かれている書籍名を公開していたのですが、やはりこの書籍は準備ができた方には自然と手に入る書籍だと感じますので、公開することをやめました。
この本の134~135ページに書かれている方法を本の通りに忠実に実行してください。
134ページにはどのような環境で行うべきかということと、図形を描きその中に入るということと、そこでイメージすべきこと、そして最後に呪文が書かれています。
環境調整の中に光の調整もあります。
私の場合夜LED照明を一番暗い状態にして行いました。
さらに私のLED照明には丸いカバーがついているのですが、中心から3分の2程度離れたところに、一片の長さが2~3センチ程度の三角形の穴が一つ開いています。
その写真がこちらです。

もし家でLED照明の明かりを落とすという形でこの魔法を使うのであれば、このような穴を開けたほうが効果が高まる可能性があると考えていまます。
この三角形の穴を通して悪霊が私の中から出て行きLED照明の光の中へと吸い込まれ、光のもとへと帰っていったということが高次元界のホログラフィックな象徴的出来事として三次元世界に生じたのだと私は考えています。
自分の心をしっかりと浄化してからこの行法を行ってください。
この呪文ももしかしたら理解なしに唱えても効果がある可能性もありますが、おそらくその本をそこまで読んで、呪文の意味を一つ一つある程度理解してその概念をイメージしながら唱えたほうがおそらくもっと効果があると思います。
この本に書かれている魔法が私が悪霊を払った具体的な方法です。
さらに言えば、ただ払ったのではなく、このとき悪霊の苦しみも解放したと思います。
また、この悪霊が出ていったのは昨年の9・10月ごろですが、まだ薬を私はやめていませんでした。
なぜなら、悪霊の残した卵のようなものが残っている可能性を感じていたからです。
それを今年の初めの1月9日のとある瞑想会において、私のグルジであるパラマハンサ・ヨガナンダ先生に瞑想中に取り除いていただきました。そのことを実感しました。
私の行っている瞑想法は、神秘形而上学の私の先生である平一先生の『神秘形而上学入門』(平一 著、ブイツーソリューション 発行)の第四章に書かれている方法です。
パラマハンサ・ヨガナンダ先生の瞑想会でも瞑想をしていますが、私はSRFの正式な会員ではないので、そこの具体的な瞑想方法は存じ上げません。ただ、SRFの瞑想会に関しては場のエネルギーが非常に高いことを感じております。
私の瞑想法は平先生の神秘形而上学入門の第四章の3に書かれている瞑想法です。
この瞑想法はもともとM・ドリール博士というチベットの秘境シャンバラというところで神秘の教えを学ばれた先生がアメリカにもたらした教えを林鐵造先生という先生がドリール先生から学ばれて平先生に伝えられた瞑想法です。
そして平先生は現在白朋舎と呼ばれている学び舎で求道者に神秘形而上学を教えていらっしゃいます。私は現在そこで学んでいるものでもあります。なので、私自身が行っている瞑想法は平先生から直接習った瞑想法です。
パラマハンサ・ヨガナンダ先生の教えは主に『あるヨギの自叙伝』と瞑想会とそこに来ている人たちからあふれるパラマハンサ・ヨガナンダ先生のエネルギーを通じて学びました。
1月9日の瞑想会の最後に大きなエネルギーが私の体に入ってきたのを感じまして、自律神経が整い、薬の影響を一時的に受けなくなったので、その時から薬をやめることにしました。
なぜとても大きなエネルギーが入ったと感じたのかというと、私がそのエネルギーを意識して、床に手をおいて流れるところをイメージしたところ、エネルギーが一部流れていき、手の指の皮が破けると同時に、活けていた花が棚から床に倒れてきたからです。
その時の指の写真がこちらです。

これは最初このエネルギーを良いものと思っていなかったために、行ってしまいましたが、良く考えるとグルジが私にエネルギーを分け与えてくださったのだのだということに気づきまして、これは大変良いエネルギーでそれにより薬の効力も一時的に無効になっているのだということに気づき、しかも、薬が効かなくても何ら問題ないことに気づかせていただけたので、本当にグルジには感謝しています。
また具体的な瞑想法を教えてくださった平先生にも本当に感謝しております。
今考えればさらに、あのエネルギーには苦しみから解放された悪霊(と悪霊の卵のようなもの)の感謝のエネルギーも込められていたと思っています。
その後、日々様々な人と接しながら特に問題なく、穏やかに過ごしています。
全てかどうかは分かりませんが、統合失調症のうちいくつかのものには、何らかの霊が関わっているということを私は確信しました。



統合失調症を克服するには

なので、もし統合失調症を治したいと思っている方がいらっしゃって医学的な治療のみでは解決しないという方は、神に日々祈りを捧げると良いと思います。
例えば、このような祈りです。
「神様お助けいただきましてありがとうございます。」
(この神様の名前は特定の絶対神を信じているのであれば、その名前を呼んで構わないと思います。すべての一般的で偉大な宗教の神は一つだと実感しているからです。仏も突き詰めれば神と同じであると実感しています。)
この祈りの意味はこちらの「奇跡の招待状 ~奇跡を起こす魔法の言葉~」の記事に詳しく書いてあります。これによって自分の心を日々浄化していってください。
さらに瞑想をされることをお勧めします。瞑想法は『神秘形而上学入門』の第四章に書かれています。瞑想についてはこちらの「統合失調症の方が瞑想をするリスクと効用」の記事にリスクと効用を書きました。
そうして、神様の力だけでなく、グルの力(SRFなどの瞑想会にあふれるエネルギー)を借りたほうがさらに早く良くなると感じていますので、真のグルを探されることをお勧めします。
SRFのヨガナンダ先生はイエス・キリストや仏陀などの聖者と並ぶほどのグルとして最高の方のうちの一人であると確信しています。
私を悪霊から解放してくれる知識を英語にして現代に復活してくれたM・ドリール先生と日本語に訳された林先生、私に神秘形而上学と瞑想法を直接白朋舎で教えてくださった平先生にも本当に感謝しています。
また、僕に小さい頃から『般若心経』を教えてくれた実のお父さんに感謝します。
中学・高校のときのバスケ部の顧問の先生にも感謝しています。バスケ部の顧問の先生は私の心の中に悪いものがあることに気づいていらしたのだと思っています。先生はそれを必死に叩き直そうとして私に対戦相手への礼儀など倫理的な指導をしてくださっていたのだと気づきました。あの時は私の方が先生につらく当たってしまいすみませんでした、感謝しています。
私に輪廻や霊の世界の話を成長の家の教えに基づいて教えてくださったお祖母ちゃんにも心から感謝します。
お祖母ちゃんに教えてもらった『甘露の法雨』はとても役に立ちました。今は以前よりも深く理解しているようです。
ヨガナンダ先生について詳しく知りたい方は、『あるヨギの自叙伝』という本を読むことをお勧めいたします。
M・ドリール先生について詳しく知りたい方は霞ヶ関書房から出版されている書籍(『秘境真義』『聖書の真義』『療法の真義』『カバラの真義』『ヨガの真義』など)を学ばれることをお勧めします。
これらの神秘形而上学について初めて学ばれる方は平先生の『神秘形而上学入門』を学ばれることをお勧めします。
ルールなど厳しい面もあったものの、きっとお母さんは私がそれを乗り越えられるとどこかで知っていたのだと思います。私に日々のご飯や小さいころの勉強、病気になってからの様々な細々としたことなどたっぷりの愛情を与えてくれたのはお母さんです。お母さんにも本当に感謝しています。
結局、悪霊とは私たちの心の弱み(ネガテブな部分)につけこんで入ってくるものなのです。その存在が神によって許されているのは私たちにはそれを乗り越える力も同時に与えられているからなのです。逆に言うと、それを乗り越える過程で私たちにはさらに大きな力が与えられるのです。だからと言って、むやみに悪を取り込んではなりません。やりすぎは何事も大惨事を引き起こしかねません。仏陀の説いた中庸がいつでも大事になると思います。孔子もいいました、過ぎたるは及ばざるがごとし。ゆっくりと心の不秩序を浄化していけばよいのだと思います。


最後に

統合失調症の方は何らかの悪霊の影響を受けている方が多いと感じます。
けれども、悪霊と相互作用できるのであれば、善霊・光の霊・良き霊とも容易につながることができると思います。そのために必要なことは神様に感謝して日々祈りをささげ続けることだと思います。それがひいてはあなたの現実を変え、世界が変わっていくでしょう。統合失調症の方は世界を変える霊的な原動力となるはずです。光を求めてほしいと思います。そうすれば必ず与えられるでしょう。

最後に、あなたのために祈りを捧げます。
あめのみなかぬしのかみさま。
阿弥陀さま。
天の父よ。
遍く存在される御方よ。
もし御心であれば、このブログの読者が癒されますように。
オーム。




※1 悪霊とはこの宇宙に漂っている意識体のうち今だ秩序だっていない(ネガテブな)意識体のことです。秩序だった意識体(ポジテブな意識体)を善霊・良き霊・光の霊と定義します。この宇宙にある意識体はネガテブもしくはポジテブしか存在せず中間状態の霊はありません。なぜならば、良き霊・光の霊・善霊はすべてひとつながり(ONE PIECE)であるものの悪霊はそこから分離しているからです。人間の魂の中心には神と通じるポジテブの意識(真我、アートマン、分け御魂、神の分光)と呼ばれるものがありますが、ほとんどの人はその周りをネガテブの意識によりおおわれています。だから、人間はポジテブとネガテブの二つの心の状態を持つのです。悪霊とは特殊な条件が重なった時に人間の魂の中にある神の分光の周りを覆っている不秩序な意識に外部からその人間の魂に憑いた意識体のことです。

2017年1月8日日曜日

タイトル変えました&ブログ村から撤退しました

タイトルを「統合失調症を克服し心穏やかに生きる」に変えました。
これからのテーマは3次元界にない物は「見えないし聞こえない」です。
もう聞こうとしないことを決意しました。

心が浄化されてないうちに3次元以外のものが見える聞こえるというのは、夢を見ているような状態です。これは周りからみたら正気ではありません。

心が浄化されてないうちはそのようなものは見えないほうがいいし、聞こえないほうがいいのです。

心の不秩序を含む幻を見ているに過ぎないからです。
私はもう見ないし聞こえないと決意しました。

だから、もう見ないし聞きません。
そう決意すれば見えないし、聞こえなくなると思います。
なぜなら、自分の意識は自分でコントロールできるからです。
そうして自分を落ち着けるためにもっと瞑想を学びたいと思いました。

また、ブログ村から撤退したのは、他の人のブログを見ることで、その想念を自分もイメージしてしまい、思考が肉体などに与える影響を考慮してみることをやめたいと思ったためです。