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2017年1月19日木曜日

奇跡の招待状 ~奇跡を起こす魔法の言葉~

ご挨拶

みなさん、こんにちは。
私はこのブログで以前「ツイてる」と唱え始めてから人生が変わったと書きましたが、「ツイてる」とは比較にならないほどの力を秘めた魔法の言葉だと思うものがあります。
その言葉について紹介させていただきたいと思います。
なぜ魔法の言葉を唱えると現実が変わるのかというと、言葉には言霊(ことだま)といって霊力が秘められているからです。
(「ツイてる」に関しては良き霊だけがつくようにイメージしないといけないので、悪い霊をイメージして「ツイてる」と言ってはいけない、という点だけ注意しておきます。ここを私は混乱して「ツイてる」と言わない方がいいと思った時期もあったのでここに記しておきます。)


魔法の言葉

私は様々な魔法の言葉を学びましたが、最も基本にしてシンプルかつ強力な言葉がこれから紹介する言葉です。
その言葉は「神様お助けいただきましてありがとうございます。」です。
(神様の名前は自らの信じている聖なる絶対神があるのであれば、その名前を呼んで構わないと思います。なぜなら、すべての普遍的で偉大な宗教の神は一つであることを私は実感しているからです。仏教の仏も突き詰めれば神と同じであると私は実感しています。私は『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様』と呼んでいたこともあります。また今でも私が学んだすべての呼び方による絶対神を信仰しています。ただし、私はどこの宗教団体にも現在所属はしておりません。宗教団体に所属してもしなくてもそれはその人の自由であると思います。)
私はこの言葉を唱え始めてから奇跡的な日々を歩み続けています。
この言葉は奇跡からの招待状であったことを確信しています。


奇跡の発動

私が初めてこの言葉を唱え始めた時のことを書きます。
ちょうど1年ぐらい前のことでした。この言葉を私は毎日100回以上は唱えていました。5分から10分ほど熱心に唱えていたと思います。あるときにはお風呂の中であるときには机の前で両手を合わせて一心不乱に唱えていました。
(どうもこの魔法の言葉は、一心不乱に唱えると発動力が上がるようです。)
一心不乱に唱えていたときに、私は光の集中を感じました。そうして、体が何か太陽の光のような暖かいものに包まれたように感じました。それから、自分の中にある悪いものがどんどん浄化されていくような感じがあったのです。
それと同時に自分の中にその光と同じように暖かで小さいけれども強く輝く光の点のような球のようなものがあるのを感じました。
これを日本(神道)では神の「分け御魂」(わけみだま)といいます。他の宗教の言葉でいうと、「神の分光」(神秘形而上学)、「アートマン」(ヒンズー教)、「仏性」(仏教)などと多くの偉大な宗教で呼ばれているものです。
この小さな光の点のような球のようなものは必ずどの人の心の中にもあります。なぜなら人間は動物と違い魂を持ち、魂の奥には神の分光(分身)があるからです。
そうです。私たちは聖なる存在だったのです。多くの人はそれを忘れているだけです。けれども、思い出せば人はいつでも聖なる存在になれます。
人間が万物の霊長と呼ばれ、霊の文字が使われているのはこのためなのです。また私たちの魂の中にある神の分光は神様の中心とつながっているとあらゆる偉大な宗教で教えています。実際、私もそうだと感じます。なので、この魔法の言葉を唱えると、その感謝が心を通じて神様の中心に伝わって奇跡的なことが起きるのです。心とは魂の振動の送受信装置なのです。
この言葉を毎日唱えるようになってから、自分の周囲が徐々に徐々に数日程度ではわからないぐらいゆっくりとけれども数か月単位で見れば確実に奇跡的な方法で変わっていきました。1000回ぐらい唱えたときに、おやなにかあるなと感じました。1万回ぐらい唱えたときには私の周りに起こる出来事がはっきりと認識できるほどに変わっていきました。
そうして良き方向に向かって物事が次々と動き始めました。

奇跡の原理

これは原因と結果の法則から考えてもそうなるといえます。
原因と結果の法則とは良いことをすれば良いことが起き、悪いことをすれば悪いことが起きる、という単純なものです。
原因と結果の法則は科学です。数式を用いなくともそれは確実に存在するのです。
この原因と結果の法則は極めて正確に働いていますが、結果が返ってくるまでに、神の慈悲により猶予期間が設けられているので、気づかない方が多いかもしれません。
この法則と自分という因を聖なるものにするという原因を考えれば、自らが受け取るものは奇跡のような素晴らしいものになるという結果が返ってくることが分かります。なぜならば、人が自分は聖なるものであったのだと思い出すことは正しい認識であり正しい認識をすることは善行を積むことであるからです。この魔法の言葉には自分が聖なるものであったということを少しずつ思い出すという効果もあります。(他にも効果はあります。)
聖書に「見失った子羊」のたとえが書いてあります。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(ルカ、15章、4-6)
この意味は神は羊飼いであり、私たちは迷える子羊です。迷える子羊が神によって確実に見いだされるための言葉が「神様お助けいただきましてありがとうございます。」という魔法の言葉なのです。
仏教における浄土真宗で親鸞聖人がおっしゃっている
「善人なおもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(歎異抄 第三条)
という文章も同じことを表しています。
この意味は善人は自分が善をなしていると思って阿弥陀様(神様と同義であると思います)の力にすがることをしないが、われら煩悩具足の悪人はどんなに自力で行じても浄土にたどり着くことができないのを阿弥陀様があわれに思われて、念仏を唱えれば必ずそのものを救うという願をおこされたので、(自らを)悪人(であると認識しているもの)は一心に念仏を唱えることで救われるということを表しています。
(自分が)善人(であると思っている人間)ではなく、(自分が)悪人(であると認識しているもの)が念仏によって救われることこそ阿弥陀様の本当の願いであるということです。
魔法の言葉は念仏(浄土真宗では南無阿弥陀仏)に匹敵する力を持っていると感じます。


魔法の言葉の効果

この言葉を唱え始めたのが、ちょうど1年前ぐらいでした。
(神様の名前は『天之御中主神様』と唱えていたときもありましたがもちろんそれでもいいと思いますし、始めに書いたように自分に合うもので良いと思います。『仏様』でも『阿弥陀様』でも『天の父』でも『聖母様』でも『ブラフマン』でも『ヤハウェ』でも『アラー』でも自分の信じる聖なる絶対神であれば何でも良いと思います。どれも同じものを指しているからです。)
それから私の霊的な旅が加速していきました。
おそらく何が起こるかというのは人によって違うと思います。ただし、その人の本当の望みが叶う方向に進むことは確かなようです。もしこの魔法の言葉を一度でも真剣に唱えるなら、その人は人生の真の目的に向かって歩んでいくこととなるだろうと私は思います。

魔法の言葉の意味

この魔法の言葉の詳しい意味を3つの部分に分けてお伝えします。
まず「神様」とは聖なる絶対神を表します。神様はこの宇宙を創造された御方です。
この宇宙のすべてのものは神様のいわば一種の表れです。私たちは神様の中で生きているのです。銀河の恒星や惑星、太陽、月、地球などの星々、人間とその他の生命、それらを構成する原子、原子を構成する素粒子や電子、この宇宙の空間とそこに満ちるエネルギーなどすべては神様がお造りになったものです。また、見える世界(この世)と見えない世界(あの世)があることはあらゆる宗教で語られていますが、見えない世界も神様はお造りになりました。(実は私たちはこの世とあの世をぐるぐると行き来しています。これを輪廻といいますが、この話は今は置いておきましょう。)
次に、「お助けいただきまして」と過去形になっているのは、一つには実際にすでに私たちは助けていただいているということです。なぜならば、私たちには空気が与えられています、水が与えられています。水も空気もなしに生きている人がいるでしょうか。これらの貴重なものを神様は私たち人間にただで与えてくださっているのです。すべてのものは神様がお造りになったのです。水は水源からただで引いてきていると思います。水源にお金を払っている人を見たことはありません。すでに私たちは生まれながらにして神様にたくさん助けられているのです。だから、まずはこれらのことに感謝するのは当然ではないでしょうか。
そこで最後の『ありがとうございます。』が来ます。
『感謝する人にはさらに感謝したくなるようなことが与えられる』というのが宇宙の法則の中にはあります。
『だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる』(マタイ、25章、29)
と聖書に書いてあることも同じことを言っています。
持っていない人とは持っていないと「思いこんでいる」人という意味で、誰でも尊いものを持っています。少なくとも今ここでこの文章を読んでいる方は命を持っていると思います。だから誰でも与えられているものに感謝することで豊かになれるのです。
ここまでで、私たちは神様から多くのものを、与えられ助けられ生かされていることが分かりました。なので、そのようなことも含めて感謝するという意味もこの魔法の言葉には込められています。


私が得た気づきのうちの一つ

私が魔法の言葉を唱えることで気づいたことを一つご紹介します。
この魔法の言葉を毎日唱えていると、与えられるすべての良いこと悪いこと(苦しいこと)に対して自然とこの言葉が浮かんでくるようになります。なぜ悪いこと(苦しいこと)にも感謝するべきなのかというと、自分にとって悪いこと(苦しいこと)というのは一つの学びであるからです。
つまり、気づけばよいのです。気づけば苦しみが消え、学びが増えます。だから、苦しみとは学びのチャンスなのです。
この世の善と悪についても似たところがありますが、そのあたりはご自身で考えてみてください。

実践するにあたって


実践について述べます。
この魔法の言葉は、おそらく1000回ぐらい唱えた時から何かが変わったことに気づく人もいると思います。1万回ぐらい唱えたときには無視できない効果が表れているでしょう。いきなりそんなにたくさん言うことは大変だと思うので、まずは1日100回程度から唱えてみることをお勧めします。10分もあれば余裕で言えると思います。回数を数えたい場合は10回唱えるのにかかる時間を測りそれを10倍した時間唱えれば100回唱えたということが分かるでしょう。
ただ、もし100回が厳しいと思うのであれば、1日1回から始めても何の問題もないと思います。
そうして1日1回言うことができてそのことになれて来たら2回に増やせばいいと思います。そうして2回になれて来たら3回というように徐々に増やしていけばストレスなく増やしていくことができるでしょう。
唱えるのはただなので唱えても特に損はないと思います。


最後に

今日は熱く語りました。
最後にあなたのために祈ります。
あめのみなかぬしのかみさま。
阿弥陀さま。
天の父よ。
遍く存在される御方よ。
もし御心であれば、このブログの読者を祝福し給え。
オーム。

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