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2017年2月9日木曜日

「『いじめ』が日本の学校からなくならない理由」に関する記事と私の考察 2017/04/20追記

とても興味深い記事を見つけました。

日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由

上の記事は非常に秀逸な記事だと思います。

私も「いじめ」は責任の観点からすれば、犯罪だと思います。

本来であれば警察が取り締まるべき問題だと思います。
そうして、教師は責任をとって懲戒処分を受けるべきです。

それが「いじめ」という言葉で教育の問題に矮小化されているのは、学校という「膜」の中に子供たちが閉じ込められているからだと記事の著者は指摘します。

魂の観点からこの記事を読むと、新しく生まれる子供たちというのは一個の魂を持った存在です。

私たちが子供を産もうとして子供がこの世に誕生してくるように見えますが、魂の世界から見れば逆で、生まれたい魂が先にあって、子供が誕生するのです。

このように「いじめ」という犯罪がまかり通ている学校の環境では子供はもう日本にはあまり生まれたくないと思っているのかもしれません。

だから、少子化が嫌だというのであれば、学校の環境を改善することも、魂の観点からすれば、重要な少子化対策になると私は考えます。

子供を持とうとする親だって、今のような学校環境の中に子供を送り込むのは不安ではないでしょうか。

子を思う親の気持ちは私には想像することしかできませんが、そのような不安を感じる方もいらっしゃるとは思います。

私自身も結婚したとしても、今の学校環境の中に自分の子供を預けたいとはあまり思いません。

できれば自分で教育したいぐらいです。

そもそもの学校の成立を考えれば、学校とは軍隊の優秀な兵士を育成する場所だったのです。

体育会系の部活などがいい例です。

上官が「突撃!」と叫べば、部下が「おー!」と言って自らの生死も考えず突撃する、そういう「兵士」を要請するのが学校の目的だったのです。

戦後は「兵士」が「企業戦士」に変わっただけです。

上司が「右だ」といえば、「はい!」と返事してYESマンになることを訓練しているのが学校という場所なのです。(特に体育会系の部活に顕著)

ここで一応断っておくと、私自身は「はい!」と返事をすることは大事だと思っています。
これは「指導される力」という力がこの世の中には存在していると思っているからです。
「指導される力」がなくては指導する側がいくら優秀でも指導される側は成長しないのです。これは部下を持っている方や教える相手がいる方は理解できるのではないでしょうか。聖書にも優秀なものを1度叱ることは、愚鈍なものを100回叱るよりも効果があるというようなことが書かれています。
ただし、間違っていると感じたことには、間違っているとはっきり主張することも大切だと考えます。これには、勇気が必要です。なぜならば、上司は部下の生殺与奪の権利を持っているからです。
けれども、勇気を出せば言えないことではありません。そして、その勇気が本物であれば、心ある上司であれば、その意見をしてくれた人に最大級の感謝をささげるでしょう。
なぜならば、上司とはその力ゆえに時に話し相手に気を使われすぎることにうんざりすることがあるからです。
だからと言って、何でもかんでも気軽に行っていいかというと、それは違います。
なぜならば、上司は生殺与奪の権利を持っているからです。
最大限の配慮をしつつ最高の勇気を持って相対することが自らの魂を向上させるとても良い方法だと思います。
この件に関する参考文献には「貞観静養」(新釈漢文大系 (95)、原田 種成 (著))があります。
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私が問題だと思うのは、理不尽なことにまでも「はい!」を要求するということです。
また、そうした場合、対応方法は少なくとも三つあると思います。
一つは黙ってそこから去る、もう一つは、返事をする前に、どうしても腑に落ちない部分を中心に、なぜかと言うことを聞くことです。
本当に、意味のある命令を発している上司であれば、その意味をあいての理解力に応じて、話すことができるでしょう。
そこでももちろん勇気は必要です。
「勇気」を出せばなんでもできる!
私はみなさんの味方です。

あるいは自分の意見をどうどうと発信して論戦を行うことも時には必要だと思います。
ただし、それには相当の言い方や論破の仕方を論理だけでなく感情面でも行わないといけないと思います。

一般の社会であれば、どうしても合わない上司のもとからは、部署を移動したり、場合によっては転職することで離れることができます。離れることも「合わないところから去ることができる力」という立派な力だと思います。

だから、学校を自分の意志で転校したり行かないと判断できる人というのは立派な力「合わないところから去ることができる力」を持っていると思います。

この力がなぜ必要になるのかというと、上の記事にも少し書かれていましたが、宗教で考えれば分かりやすいのです。たとえば、人々に悪いことを行わせる宗教があった時に、オウム真理教の事件を見ても一度洗脳されると容易には人がそこから抜け出すことは困難であるということが分かります。
つまり、宗教組織という「膜」の中では何が正常で何が異常かという考え方が外部の世界と異なっていくことが多いということです。
学校という「膜」の中でも同じことです。

そのようなことを考えると、「学校教育の場から離れることができる人たち」≒「自分の頭で考えることができ、自らをおかしな洗脳から解除できる人たち」と言っても過言ではないと私は考えます。

そういう人たちが自由に学べる場というものがもっとあってもいいかもしれないと思いました。

今後の私の活動の一つの方向性になるかもしれません。

一つの記事と私の過去の経験から今日はいろいろなことを書きました。

この記事が誰か一人にとってでも何らかの参考になれば幸いです。

また、私がここに書いていることはすべて一人の人間の提案であり、命令などではまったくありません。

こういう考え方もありますよ、という私からの個人的な紹介です。
考え方というのはほかにも無限にあり得ると思います。
自分で考えて、好きな方法を選択してみるというのも面白いのではないでしょうか。

これもあくまでも提案です。

みなさんの自由にしてください。

私はみなさんが大好きです。

ただし、この世界には法則が働いていると私は感じていますので、自由を得るためには法則を学ぶことがとても大切になると私は思っています。

宗教とは法則を抽象化したものです。

抽象化されているのでその背後にある法則を自分で見出さなければならないし、そうしないとその法則を使うことはできません。

みなさんが学ばなくても私はみなさんの代わりに学びます。

ただし、真の自由を目指すのであれば、学ぶことも悪くはないかもしれないのではないかと思います。たとえば、少なくとも、相手との縁が良い縁なのであれば、お互いに感謝をしながら話している間は、別れることはなく、また、私は神様が大好きなので、神様が本当に大好きな間は、誰も別れることはないと私は思っています。神様が好きでない人でも神様という言葉を知っている限り別れることはないと思います。

神様について学ぶ際に、参考になる書籍を紹介いたします。

だれか一人がどれか一つでも読んでくれたら幸いです。

私の理解もまだまだ途上なので、難易度は私の独断と偏見でつけております。

みなさんの受け取り方と異なる可能性がありますので、ご注意ください。

『古事記』(池澤夏樹 訳、河出書房新社)(文章量 少、難易度 最高難度)、
『新釈古事記伝』(阿部國治 著、栗山 要 編、致知出版社)(文章量 多、難易度 易)、
『歎異抄』(角川ソフィア文庫、浄土真宗)(文章量 少、難易度 難)、
『法華経』(日蓮宗、天台宗)(文章量 多、難易度 難)、
『般若心経』(真言宗)(文章量 少、難易度 難)、
『聖書』(新共同訳、日本聖書協会)(文章量 多、難易度 難)、
『シュリーマッド・バガヴァッド・ギーター』(日本ヴェーダーンタ協会)(文章量 中、難易度 難)、
『聖なる科学』(スワミ・スリ・ユクテスワ著)(文章量 少、難易度 難)、
『宗教の科学』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 中、難易度 中)、
『人間の永遠の探求』(パラマハンサ・ヨガナンダ 著)(文章量 多、難易度 易)、
『神秘形而上学入門』(平一 著、ブイツーソリューションーション 発行)(文章量 中、難易度 難)
『バーガヴァタ プラーナ』(文章量 多、難易度 難)

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